Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

当たり前のことに感謝する

ちょっと出張でブログを数日更新できませんでした。ブログを毎日更新するのは少しハードルが高いですね。

 

さて突然ですが皆さん日頃感謝ってしてますか? 人から何かをされた時ににかかわらず、自分に関る全ての事象に対して感謝の念を持ったことはありますか?全ての事象とは、自分に直接的に向けられた行為にかかわらず自分の目の前で起きてる全ての事柄です。天気がいいこと、自分がよく通うコンビニの店員の接客がいいこと、食べ物に困らない便利すぎる世の中とか、日本という国に生まれたこととか、当たり前すぎて気づかないことに感謝してますか?

私はね意識しないとできないんですし、精神的に未熟な感じなんですが、この感謝という感覚は人間のモラルの原点だと思うんです。人とうまく共存し調和していくための重要な精神性なんです。言われるまでもありませんが、人への思いやりは人への感謝が根底にあります。この人に感謝したいそして、もっとこの人のために役に立ちたいと思う心が人々の心の調和を生みます。

そんなことはわかっていると言う方もいらっしゃるでしょうが、現状はどうでしょうか?市区町村の条例は年々増える一方ですし、性悪説に基づいた法律で人間の社会生活はがんじがらめにされています。人間の社会行動やモラルというものは法律によって守られるべきものという考え方が現代の世の中では主流です。

しかしルールがあるから守る、法律があるからそれをしないというのは本来のモラルのあり方ではないのです。モラルというのは本来は人間同士の調和であり、感謝の念から自然と溢れ出てくる行動なのです。だから私の考えでは、ルールがあるから守れと人に強制行動とは一線を画すと思っています。これは義務感ではなくどちらかといえば感謝の念に基づいた奉仕の精神が近いと思います。

当たり前という感覚は感謝の念からは一番遠い精神性です。全てを当たり前と思う心は自分自身の要求を増長させ、他人の困窮や困惑に気づかない、餓鬼のように自分の欲求はいつも満たされずに様々な不満に苛まれる。そしてこの精神性はやがて自分自身の自愛精神を蝕み、自分自身への感謝を捨て去り、さらに身勝手な要求を自分自身に突きつけそれが行動に現れるのです。

自分はこれくらいしたのだから、これをしても許されるだろう、自分はこれだけやっているのに部下は要求する水準に達していない、だから陥れていいだろう。自分に甘くても自分に厳しくても、当たり前という精神性は自分の評価が全ての基準になり他人を評価して自分の要求を満たすように動かそうとします。当たり前という意識は私の経験上欠乏のどん底に精神を追いやり傲慢な心を作ります。

日本に生まれて来たこと:当たり前ではないんです。 スーパーでものを買うときレジで精算してくれるスタッフ:当たり前ではないんです。会社で給料をもらうこと:当たり前ではないんです。あなたがこうして生きていること:当たり前ではないんです。全てが幸運の内に発生した必然であることに感謝しなければ人間の魂や精神性は成長しないと思っています。

私もできている部類ではありませんが、少なくとも当たり前という考えからは脱皮しています。皆さんの身の回りで起こる全ての事象に対して幸運と受け入れられるか、そしてそれに感謝できるかどうかが人間性の価値を決めます。

少し宗教的な感じになってしまいましたが、モラルやルールが強制されないと自分の行動規範を保てないというのであれば、物事に対する感謝がやはり足りないと思います。

もっと自分をもっと愛して、自分を感謝してください。人に思いやりを持って接する人は自分に対して思いやりを持てる人です。

 

 

 

Yuさん(@yu_7797)がシェアした投稿 -