Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

FIFAワールドカップのサポーターたちのゴミ拾いについての是非

さて今日はいま世界が注目しているロシアで開催されているFIFAワールドカップのサポーターのゴミ拾いについて話そうと思います。

日本においては落ちているゴミを拾うことは社会通念上モラルが高い行為とされていて賞賛されます。先のコロンビア戦、セネガル戦においてもサポーターは自主的にゴミを拾い集めていました。これについて各国のメディアは好意的に捉えています。

世界的に自分たちが出したゴミは自分たちで拾って片付けるという気運が高まっているという証拠でしょう。セネガルのサポーターも日本のサポーターと一緒にゴミを拾い集めているシーンは非常に印象的でした。

しかしこのゴミを拾い集めるという行為は全ての国の人が手放しで賞賛できるものではないというこです。どういうことかと言いますと、ゴミはゴミを拾うことを生業にしている人たちのだと考える国がいくつかあるからです。

我々日本人が想像もつかないような貧富の差がある国などでは、ゴミを仕分けして使えるものを業者に売り渡したり、路上で売れそうなものを探し出して加工を施し露天で販売することを生業にしている人がかなりいるのです。そのような国では、国民のモラルの問題もある程度関係していますが、ゴミをわざと路上に捨てたりしているところもあります。

私が以前インドに赴任していた頃、毎日通勤するオフィスの周りがあまりにもゴミで汚れているため毎朝掃除をしていたのですが、そのビルのオーナーに掃除をすることをやめるようにたしなめられた記憶があります。

彼が言うには、ゴミを掃除することを生業としている人がいる、また貧困から抜け出そうと必死でゴミの中から商売のタネを見つけようとしている人もいる。ビルの周辺がきたないことは私だって承知している。だが、彼らが今日生き抜くための仕事を奪うことはできない。だから黙認しているんだ。

と話しているのが印象的でした。世界では掃除してしまえば困る人もいるという現実があります。ゴミをなくすことがその人の生きていく糧を奪ってしまうことになりますから。

ワールドカップでは日本のサポーターのゴミ拾いが日の目を見ていますが、開催地の国の状況はやはりある程度は知っておくべきでしょう。我々日本人の良心的な行為が逆の結果を招くこともあることも覚えておかなければなりません。

世界的には自主的な美化活動は受け入れられている傾向にありますが、その国で暮らす人々はその考え方に賛同はしていないかもしれません。その部分を十分考えて行動しなければなりません。

自分自身の善意が全て正義とはなり得ません。解釈の仕方によっては悪意に変わってしまうのです。皆さんももし海外で自主的にゴミ拾いのような活動をされるときは十分に国の状況を知ってからやったほうがいいでしょう。

 

 

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さて私のゴミ拾いがもう半分趣味になりつつありますが、対外的にはこのブログを通して啓蒙しているわけです。ゴミを捨てるなと。。わざと活動を見せて認知をはかってます。私のゴミ拾いの範囲は極めて限定的ですし、朝の時間も限られています。なのでそれほど美化の効果はないでしょう。こうやってブログをとおして皆さんにゴミを路上に捨てないように伝えているわけです。ですのでぜひ私の活動の一端をブログを通してご覧になった方は、ご自分の行動を振り返ってみて、もし"やってしまったことがあるな"と心当たりがあれば改善するようにお願いいたします。

ではこの辺で