Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

ゴミを捨てないこと"は"ゴミを拾うこと"よりも価値がある

今朝のゴミ拾いは昨日に引き続き駅前の駐輪場に設置されている自販機のゴミ箱です。

まだ多少周りにゴミが散らかっているものの、なんとか現状復帰できました。まだゴミ箱の中は整理できていませんが、大量のゴミがゴミ箱の上やそこかしこに積まれていたを考えると見た目はだいぶ改善したと思います。

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これが昨夜に片付けた時のもの。なんとか頑張って綺麗にできました。大量に出たゴミをマンションのゴミ倉庫に持って行く時すれ違った住人の方に思いっきり睨まれました(汗) やはり外からゴミを持ってこられるのは嫌みたいですね。

ただ倉庫は広いし、ゴミは頻繁にゴミ収集車が回収してくれるので常にスペースはありますし直接的にマンションの住人の方に迷惑をかけてないので大丈夫だと思います。 

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これが今日のゴミです。瓶が多かったかな。燃えるゴミ燃えないゴミはほとんど食べ物の包み紙や袋です。ほんとんどのゴミはビニール袋の中に燃えるゴミも燃えないゴミも一緒くたに入れてあったので、きつく結んである袋を開封して分別しなければならないのは非常に骨が折れました。まあなんにせよこれでようやく七夕祭りの後片付けがひと段落したということですね。

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"ゴミを捨てないこと"は"ゴミを拾うこと"よりも価値がある

 

ゴミ拾いはなかなか簡単にできるものではありません。イニシアチブをとって主体的に行動することが難しいという側面もありますが、大きな問題はゴミを保管する場所です。これが確保できなければ、拾ったゴミをどこかで手放さなければならず遅かれ早かれ近隣に住む方々に迷惑をかけてしまうので、計画性が必要です。

だからゴミ拾いはできる人がやればいいのです。むしろ皆さんはゴミを公共の場所に捨てないということを徹底することがゴミ拾いよりはるかに生産的に街の美化につながります。

ゴミを公共の場所に捨てないというのは当たり前に聞こえるでしょうが、日本においては非常にハードルが高いことなんです。他の先進国と比べて日本は圧倒的にゴミ箱の数が少なく、捨てる場所がないため長時間にわたってゴミを持ち歩かなければならないという状況が往々にしてあります。

早くこの煩わしいゴミを手放したいと思うのが人情でしょう。だから些細なゴミなどは誰も見ていないから捨てられるという誘惑に駆られて捨てる人は結構います。だからポイ捨てを自制するのは結構大変なことです。

ましてや出先でこしらえゴミを家まで持ち帰るというのは一番難易度が高い捨て方です。"ゴミを持ち帰る"ということを当たり前のように市や自治体が呼びかけていますが、言うほど実践は簡単なものではないのです。

だからゴミを持ち帰るという自制心を持っている人は、ゴミ拾いをしている私よりも美化やモラルに対する意識が高い方でしょう。私は決められた時間内に、決められた場所にゴミを捨てに行くだけですから、持ち歩く時間はそう長くはありません。

ゴミを路上に捨てないというのはそれだけで尊いことです。ゴミを路上に捨ててはいけないというマナーを守れない人がいるということを考えると、自制心を持って決められた場所に自分が出したゴミを捨てることができる人はそれだけで賞賛に値します。

ゴミを公共の場所に捨てないということは社会全体から日本人でさえ当たり前にできることではないのです。なのでゴミを捨てないということはゴミ拾いをすることよりもはるかに効率的かつ生産的に街を切にすることができます。

ゴミ拾いができないことを気にする必要はありません。私の考えではゴミを路上に捨てないことの方がゴミを拾うことよりも何倍も価値があると思います。拾うゴミがなければそもそもゴミを拾う必要などないのですから