Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

横浜駅にて缶コーヒー行商2回目 そして駅周辺のゴミ拾い

早朝6時に横浜駅まで缶コーヒーを売りに行きましたよ。今日は売り上げ0ですわ。駅前に突っ立って大声張り上げてコーヒー売っているんですが、冷ややかな目線が本当につらい。"お前そこで何やってんの?そこで"感がひしひし伝わってきます。横浜駅は時間帯問わず人でごった返しているので、一人や二人買ってくれる人が必ずいると思ってここでコーヒーを売ることに決めました。

朝の通勤ラッシュはそもそも8割近くの人が勤め先に急いで行くことが目的なので余計なことに時間を取られたくないと思ってます。私みたいな怪しい人間が50円という市場価格からしたら破格の値段でコーヒーを駅前で売っているということ自体にほとんどのに人が何かしらの疑問を感じていると思います。ほとんどの人は売り手に関する情報不足による不信を感じているのではないでしょうか"お前は何者で、なぜそんなことをしているんだ?" 特に都心に近づくほど人の警戒心は強くなりますし、こちらの呼びかけに反応してくれる人は少なくなります。

やはり缶コーヒーの行商と言えど事前のマーケット調査はやるべきなのかと考えました。今日缶コーヒーを売っていて気づいたのは

  • 人が多いからといって単純に売れる確率が上がるわけではない。人が少なくても需要があれば十分売り上げが立つ
  • 人の性向を見極めなければならない。コーヒーを買ってもいいかなと思えるタイミングはどこかということ
  • 怪しさを感じさせない演出をする。例えば一目で飲料販売員だとわかる服装にするなど
  • 通行人が私からコーヒーを購入する十分な理由がある場所で売る。砂漠では水は当然売れる。いくら安いといっても、信頼やブランド力が高いコンビニがあれば人はそこから飲料を購入する。競合の存在を忘れてはダメだ
  • やたらめったら声をかけたからといって売れるわけではない。売り込む対象は買うかどうか迷っている客だけにする。

安いから売れるというわけではないんです。やはり人は総合的に判断して購入の決断を下してます。特に"安心感"などの信頼につながるウェイトは購入を決断する要素の中では非常に大きな部分です。すでにビジネスが回っている状態で物を売るのと、全く信頼がない中で0から売っていくのとでは戦略が全く違います。

信頼に投資すると考えれば、フリーマーケットで物を売るというのは非常に合理的な考え方です。全く孤立した状態では一から声がかけやすい身なりや、声の掛け方をマーケティングに合わせて研究していくほかありません。

 

 

 

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横浜駅西口付近にある喫煙スペースです。ここに強行突入して一人一人にコーヒーを売り歩きましたが。撃沈です。顔に火が出るくらい恥ずかしかったです。ですが、通行人よりは、購入の需要があると思い突入しました。タバコを吸っている何人かは缶コーヒーを飲んでいましたから。

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さて帰り際にゴミ拾いも忘れません。横浜駅は本当にゴミが散らかり放題ですね。ゴミ箱設置すればいいのになー

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ボーッとゴミ拾い 至福のひととき

7月の上旬に平塚で七夕祭りが開催されるからか、ポイ捨てのゴミの量が減っている気がします。いつも私がゴミ拾いをしている朝は駅前で掃除なんてしている人はいないんですけど清掃員が掃除してました。ごく限られたエリアでしたし、大きなゴミは片付けてませんでしたが。

何かのイベントで美化の気運が高まるのは非常に願っても無いことですが、一過性でないことを願っています。

朝の起き抜けに袋をもって、ぼーっとゴミ拾いをするのはとても至福の時間です。まだ眠たい脳がゴミを拾うことでリフレッシュして徐々に覚醒していく感じがたまらなく気持ちいです。

この何も考えずに目についたゴミを手当たり次第に拾って袋に入れる感覚は脳の中をマッサージされているみたいです。できればずーっと拾っていたいとかじるときもあります。何なんでしょうこの感覚は。とても不思議です。

 

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人生のシナリオについて

今日は早朝雨が強くゴミ拾いができませんでした。今週は雨が多いので本当にまいりました。一回でもやらない日があると習慣はいとも簡単にくずれるので天候に自分の予定が左右されるのは本当にいつも腹立たしいんですが、しょうがないですね。

 

今日は人生のシナリオについて話したいと思います。特に自己啓発本に触発されてこじらせたというわけではなく私の本心、心で思っていることをお話ししたいと思います。

皆さんは自分の人生がうまくいっていると感じますか? 幸せでしょうか? 自分の思い通りの人生を謳歌できてますか?

この問いに対してポジティブな回答をする人はそんなに多くないでしょう? 何をやってもうまくいかない。こんなに頑張っているのに自分が望んでいる現実がなかなか実現しないといったもどかしさや悶々とした感情を抱えている人が多いのではないでしょうか?

それはなぜでしょうか? それは自分の人生のシナリオからはずれているんと私は思うんです。人生のシナリオというのは、我々がこの世に生を受ける前に大まかに決めたミッションです。これを決めて我々はこの世に生を受けます。この人生をどう学んで魂を成長させていくかというミッションは人それぞれ違います。そしてこの人生のシナリオを通して素直に学んで修行していくことが幸福を得られる鍵です。

皆さんは実は人生のシナリオに逆らっているのではないでしょうか?万人の人生は得てして幸せになるようにできていますし、人生の歩みを進めているまさに今幸福でないというのはおかしいということです。

人生のシナリオとは頭で考えるものではなく直感に従うものなのです。どうでしょうか?直感に従うことを恐れていませんか? 皆さんがもし自分の人生が不満に満ちていると感じたら人生のシナリオから逸脱していると考えるべきです。頭で打算的に考えてうまくいくほど人生は単純ではないのです。

人が羨む成功を掴んだ起業家や歌手、俳優などの有名人はみな自分の直感に従って行動した人たちなのです。打算的に自分の人生を損得で計算して計画した人ではなくその道を歩むことがもともと生まれる前から決められており、その人生を歩む過程で次々と幸福が現れるんです。

成功した人のことを"運の要素が強い"と言うひとがいますが、僕から言わせればその通りで、人生のシナリオに沿っていれば次々と予期せぬ幸運が舞い込んでくるんです。

例えあなたが金持ちに憧れを抱いて、尊敬する人物の人生をトレースして人生設計をし行動したところでうまくいかない場合の方が多いんです。それは金持ちになることがあなたの人生のミッションではないからです。どんなに努力しても結果が振るわない。自分を律して追い込まないと努力ができないというのであればそれはあなたが目指す道ではないのかもしれません。

そもそも"努力"をしなければ成功できないのであれば、例え世間的に成功した後でも"努力をし続けなければならない"という苦悩からは逃れられないでしょう。そう言った意味では真に成功したとは言えないんです。

いいですか?苦労というのは他人からの評価です。自分から買ってするものではないのです。自分が幸せだと思うことをやることが人生の目的であり、あなたのミッションなんです。 だから今何をすべきかにフォーカスすることが大事なんです。

大成したひとの苦労話を真に受けて自分を押さえ込んで努力するというのは最も幸福から遠ざかる行為です。蟻地獄のようにいくらもがいても抜け出せない状態になります。

人生の質や人生のミッションというのは他人と違って当然です。現世だけが自分の人生ではないのです。人の成熟の度合いは前世の人生も考慮に入れなければ、人より突出して能力が高い人間がいることの説明ができません。人生において何が自分のミッションなのかは自分の直感を信じて何をやれば幸せかということを基準に考えるべきで、本当は望まない富や名声を不用意に求めるべきではないのです。

そうすればあなたが思っても見ない幸運やラッキーが訪れるはずです。日頃、あなたが富や名声を得た人に対して"運がいいだけだろ"と言っているのと同じように。

ほとんどの人は自分の人生を打算的に考えます。年収はいくらないと結婚できない、仕事は年収が高いものをえらばなければならない、老後が不安だから何か資産運用を始めなければならないと、と自分の先々の不安を元に人生を設計してます。不安は不安を呼びます。どんな用意周到な人生でも直感を信じた行動をしなければ不安が尽きることはないのです。

先々の不安で自分の直感を押さえ込んでしまえばあなたのミッションは果たされないまま人生を終えることになり、結局幸福を得られない人生だったと後悔すると思います。

スティーブ・ジョブズも言ってます。直感を恐れないで行動してください。幸運は信じた人の元へとしかやってきません。幸せはあなたの直感の中に必ずあります。自分の生活に保守的になるあまり直感を否定して行動を鈍らせてはダメです。あなたが考えている以上に巡り合わせや幸運というものが人生のイベントとして発生します。それは打算的な考え方では到底予想ができなものです。

是非自分のミッションを再確認するためにも、直感を信じて行動してください。なにも大それたことをしろと言っているわけではないのです。やりたいなと思ったことをどんなに小さなことでもどんどんやっていくことです。幸福と感じる時間を増やすことができればあなたはあなたの人生のシナリオの軌道上に乗っていると言えるでしょう。

やりたいことも満足にできない時代に生まれてきたのもあなたのミッションの一つです。色々な制限がかかるこの世の中でできる限り幸せだと感じることをやっていきましょう。あなたは紛れもなく幸せになるために生まれてきたのだから。

 

 

 

 

ちょっと今日は缶コーヒーを売り歩いていました。

今日はちょっとゴミ拾いができなかったんですが、実は早朝に駅で缶コーヒーを売ってました。商売の初心に帰ろうと思い立ち行商をしようとコストコで仕入れた大量の缶コーヒーをクーラーボックスにつめ、道ゆく人に声をかけてコーヒーを売っていました。

まあなかなか売れるもんじゃないですね。私完全に怪しいですもん。50円という価格で売っていたんですけどね、普通缶コーヒーの相場からすると100円から120円くらいものでしょう。それを半額以下でしかも怪しい人が販売するんですから そりゃ身構えますよね。 

結局30本持ってって2本しかうれなかったんですけどね。いやー色々勉強になりますよ。頭フル回転です。どうしたらこの買ってくれなさそうな人たちが買ってくれるのかを考えながら声かけたり、人前でおかしな行動したり。

まあでも商売は目立ったもの勝ち! 恥はつきものです。プライドなんて犬に食わせて売ることに集中するだけです。

ただ、旅の恥はかき捨てということわざにもある通り、さすがに平塚駅ではできませんでした。最寄り駅は知り合いが多いもんでそこは勘弁願いたいと。

ノルマは一応200本ですが、なんとか工夫して売っていこうと思います。

 

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主体的に行動することについて

今日は主体的に行動することについての話がしたいと思います。私の経験上主体性が発揮できる行動というのは共通して直感に基づいているものです。損得を考え、見返りを期待しての行動とは正反対のものです。私も当初ゴミ拾いを始めたきっかけは、たまたまビジネス系のメディアに掲載してあった"ゴミ拾い"に関する記事を読んだことでした。

ゴミ拾いは"脳を初期化しその日の気持ちをリセットする効果がある"という体の見出しで、心理学者の見解を交えながらその心理効果と仕事の生産性について語っているものでした。当時自分で勝手に追い込みすぎて精神的に疲弊している状態の私が、直感的にこれだと思い、荒れすさんだ精神をどうにか落ち着けリセットするために始めました。

ゴミ拾いを初めて続けるうちに新たな発見や、気持ちの変化や言葉では表せない達成感がありいつしか、ゴミ拾いによって得られる"何か"を求めてやらずにはいられないという状態です。これは損得の上にある物理的な見返りや利益と一線を画す極めて精神的なものです。

現在では特に誰も関心がないゴミ拾いについて、どうやったらポイ捨てされたゴミが無くせるか、どうやったら捨てる人が少なくなるかについて真剣に考えずにはいられなくなりました。それがなぜか楽しいのです。

直感に従い本能の赴くままに頭に思い浮かぶアイディアを素直に実践していくとおもしろいほどうまくいくのです。そしてそれが努力だとは感じないのです。そしてその成功体験がやらずにはいられないという感情のスパイラルを生み出し気づいたら毎日夢中でやっているという状態を作り出すのです。

主体性は義務感でしばることはできません、損得感情の上に成り立つものではありません。やっていて苦しい、やりたくないと感じることはもはや主体的にやっている状態とは言えません。

主体的に行動できるかどうかは、直感に基づいて本能に自分の行動を従わせることができるかが鍵なのです。

直感が働くのは一瞬で、時間がたてばたつほどネガティブな横槍が直感を否定し始めます。主体的な行動が可能になるのは、直感が働いたその日までです。思い立ったら即行動が主体性の本質です。そして頭に思いついたアイディアを本能のままに試していくのです。

詳細なプランを立ててそのとおりに何かを実現していこうと努力することはすでに将来に何らかの損得を期待しており、非常に義務感が強く主体的な行動とは言えません。

皆さんも、打算的に自分の人生を考えすぎずに直感的にそして主体的にこうどうしてみると何か見えてくるものがあるかもしれません。 是非自分のインスピレーションを大事にしてください

 

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ゴミ拾いは偽善かどうかについて

ゴミ拾いが偽善かどうかの問いかけをインターネットでよく見ますが、私がどういう目的でゴミ拾いを行なっているか知ることは、私の行為を見ている傍観者にとっては重要なことでしょうか? 

現実的に綺麗になったかどうかが重要でしょう。私がどういう気持ちでゴミ拾いをしたとしても、結果的に綺麗になったのであれば双方に不利益はないはずです。

ゴミ拾いをインターネットを使って方々にアピールすることが偽善になる、人に善行を見せるなどおこがましい、人に見返りを求めずひっそりとやることが真の善行であるということをいう人がいますが、なるほど慎ましく人に役に立つという顕示欲を隠して行動するというのは本来の日本人の考え方かもしれません。

 

しかしゴミ拾いにはこの考え方はあてはまりません。私の持論ですがゴミ拾いは美化活動としてはなかなか難しいボジションにあると思ってます。というのも効率や生産性が非常に悪いからです。手作業でゴミを拾い集められる量やエリアというのはたかがしれてますし日にちを跨げばまた路上にゴミを捨てる輩が現れます。

結局現実的に考えてゴミ拾いは啓蒙活動以上の効果は発揮できないんです。道ゆく人にアピールしてゴミを捨てることがよくないということを日々啓蒙していくことがゴミ拾いの真の目的です。 ゴミを一掃するのであればそれこそ政府の莫大な投資によって様々な機器を揃えて、人を雇ってやるのが一番生産的です。

アピールが偽善というのはゴミ拾いの目的を理解されていないと思います。仮にそういう目的を持たずに偽善としてゴミ拾いをやったとして、なにか不都合でもあるのでしょうか?批判される筋合いなどないと思います。 

一つ言っておきますが、ゴミ拾いの目的がなんであれ、世の中で主体的に自ら行動できる人は本当に限られてます。そういう人の努力を批判するのはよくないと私は思ってます

 

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建物の隙間のゴミ拾い!

建物の間は非常にゴミが落ちてましたよ。下の写真は道路に面した建物と建物の隙間う写したもので、被写体の後ろは道路になってます。特に奥の方はカオスでした。20lのゴミ袋3つ分です。どうやら道路側からゴミを奥に向かって投げ込んでいるようです。奥の方から粉々に割れたビール瓶が見つかったのでおそらくそうでしょう。

場所は明石町で飲み屋が立ち並ぶ繁華街の一角です。酒飲みの多い繁華街は、割りかしお酒に酔っていようがいまいがモラルの低い人は多いように見受けられます。

なぜか、酒瓶やビール缶はもちろんですが、通常飲み会の前に二日酔いの予防線を張るためにのむ栄養ドリンクの空の瓶や缶がいたるところにおしてました。悲しいことです。栄養ドリンクなど味わって飲むものでもないし、量も少ない、ましてや飲み会に時間通り間に合わなければならないなんてことはないでしょう?多少遅れて顔を出すなんてことは無礼講なのでそんなに急いでもないのに、ゴミ箱が設置してあるコンビニで飲み干さないというのはどういうことなんでしょうか?

やはりゴミ箱の有無を確認して行動するということを真剣に考えている人はいないようです。せめてコンビニの袋をもらってそこに空の瓶なり缶をいれて持ち帰って欲しいです。

飲み会で楽しい時間を過ごすというのは結構なことですが、やはり路上にゴミを捨てるにはいささか自分勝手すぎると思う次第です。ゴミが出た場合は是非ゴミ箱に捨てるという意識を強く持って行動してください。

 

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