Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

ゴミのポイ捨てを見たときにマナーを強制しますか? 相手に暗に気づかせますか?

公共の場所でゴミをポイ捨てする行為について心ない行為だと思っておられる方が大半だと思います。私もそのうちの一人ですし、ゴミを平然と道に捨てている姿をみると非常に悲しい気持ちになります。一般的に社会では非道徳的な行為や、モラルに反する行為などは、モラルを守る側の立場の人の目線や価値観でその行為に対する規制や取り締まりが行われているのが現状です。当たり前の話ですが。

モラルを守らない人に、社会的な秩序を守らせる、ルールに従わせるように規制を設けたり、強制したりする行為は、モラルを守ることが正当だと考えている側のの価値観を無理に信奉させるように私は感じるんです。

 

rubbish-collection.hatenablog.com

 

こちらの記事にも書かせていただきましたが、モラルというのは本来は人間同士の調和であり、感謝の念から自然と溢れ出てくる行動なのです。だから当事者が自分で気づくというのが重要で、その気づく環境を作っていくことがモラルの本質を見抜いている人の行動だと私は思っております。私はここまで人間ができているとは自分自身思っていませんが、少なくともこのような理想があります。

モラルを守ることができる人が自身の正論をモラルのない人にぶつけて強制的に従わせる流れはどちらかと言えば賞賛される傾向にありますが、モラルを心から遵守するという観点で見ればそれほど効果的なものではないと思っています。

これはあくまでも私の考えですが、モラルが守れる人、守れない人にはそれぞれ違った方向性の目的や役割があり、学ぶべき点も全く違いますし、気づくポイントもそれぞれ補完し合っているのではと思っています。

例えば、ゴミを捨てる人とゴミを持ち帰る人、ゴミを拾う人の精神性はそれぞれ違い、学ぶべきポイントやミッションが違います。ゴミをポイ捨てする人はゴミをポイ捨てすることが社会的にモラルに反しているということを心から学ぶということがミッションであり、ゴミを家まで持ち帰ることができる人は今度は人の為にゴミを拾うというミッションの移行期にいる人であり、ゴミを拾う人は、ゴミをポイ捨てする人が社会的にモラルに反しているということを暗に示して気づかせ心から理解させるというのがミッションであるという具合です。

ゴミをポイ捨てする人がいれば、ゴミを拾う側には何か前向きな気づきがあるでしょうし、ゴミをポイ捨てする人の意識を変えるように行動を変化させるでしょう。またゴミを拾う人がいれば、ゴミをポイ捨てした人は、モラルに反した行動をしているにもかかわらず自分の行動を否定されている感じがして頑なに態度を変えることを拒んでいる自分に気づくかもしれませんし、少しずつ意識に変化が見られるかもしれません。

このようにそれぞれの役割は補完しあっているというのが私の持論です。ゴミを捨てることが悪い、ゴミを捨てないことが良いという厳格な二元論で物事を判断するのではどこかでひずみがくると私は思います。

あなたから見てある人が行っている行動が"悪"と見えるのはあなたの精神性がそれだけ高いということです。そしてその行動を行っている人は世間一般からみて"悪い"とされる行為を自ら"悪い"と自己反省することがその人のミッションかもしれません。

そのミッションを手伝うということを考えると自分のやり方を強制させ、従わせるというのは似付かわしくありません。自分も成長できるという感謝の念を持って"気づかせる"ということが最もふさわしい行為ではないでしょうか? 私はそう思っております。

 

社会の風評や世間のルールを守るということに主眼をおいてしまいますと相手を見下したり、自分と比較したり、相手の行為を糾弾することにつながってしまいます。ルールやモラルを守るという目的を達成する上での手段の一つではありますが、これでは急な改革はできても精神性が育ってない人に改心させたり悟らせることは難しいと思います。

それぞれの人の精神性を手助けするミッションだと思い、奉仕の精神で人に気づかせる工夫をすることは自己の成長にもつながりますし、また負の感情を持たずに済みます。

私自身もこれを実践していますが、イライラしてしまったり、怒ってしまうことも多々ありますが気づいて行動を変えていくことが私のミッションということです。

 

皆さんも気に入らないことに関して好きか嫌いか、善か悪かの二元論で考えるのではなく精神性の違い、ミッションの違いで人との違いを認識してみると視野が広がるかもしれません。

 

 

 

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