Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

働くことについて

私は特段キリストのイデオロギーを継ぐ者ではありませんし、その他宗教においても同様に私は特定のイデオロギーを支持しているわけではありませんが、私の思想は、人間の本来の在り方について世俗を俯瞰的に捉え、どのような考え方であるべきなのかという意味において原理主義に非常に酷似しています。

そのためあまり純心すぎる思想ではこの厳しい世界を生き抜いてはいけないという意見をもらうことも多々あります。しかしこういう厳しい世界だからこそ原点にかえって人間の精神性に焦点を当ててできる限り幸せと思える考え方になってほしいのです。

さて日が経つにつれてゴミ拾いとは話題かかけ離れていますが、様々な考え方を構成する思想は行動を起こす根幹をなすものですから重要です。ゴミを捨てるという行為そのものを直接的に良いか悪いかの二元論で諭すより、異なる思想を受け入れて疑問を持ってもらうことが本来の意味での自省や自戒に繋がると思っているので、私の思想をここで披露し気づいてもらえたらなと思っている次第であります。

今日は少し仕事について話そうと思いますが、仕事をすることとは現代ではお金を得て生活するための義務的な労働という考え方が一般的ですが、本義は人への奉仕だと思います。仕事とは例外なく誰かに役に立つためにあります。しかし実際に人の悩みを解決したり人に何か役立つことをしてあげたくてやっている人はごく少数で、生活を支えるために義務を負っているという体で仕事を捉えている人が大半ではないでしょうか。

仕事の内容と仕事をする理由や目的に乖離があるのが現代社会です。全てにおいて損得に基づく行動基準があり、行動の成果や見返りを求めることが当たり前の社会では人への施しという意味では金銭的な対価と交換で要求された最低限の奉仕しかしないというのが当たり前の世の中です。

もちろんサービス精神を謳って利益を度外視した商売をしている人もいるでしょう。しかしそれらも競合を出し抜き贔屓にしてもらうための戦略的な行動で対価として見返りを得るという考え方からは脱却してません。

そもそも対価が貰えないならその仕事をやらないのであれば、その仕事を通じて本心から人の役に立ちたいとは思っていないでしょう。

現代の仕事では精神的な充足感や幸福感や魂の向上はなかなか得られないというが私の見解です。本来であれば見返りを度返ししても携わっていきたいと思える仕事をすることが人間の使命だと思いますが、文明人として人並みかそれ以上の生活を手にいれなければならないというプライドが仕事の目的を人への奉仕ではなくお金を稼ぐ手段として捉えてしまっているのではないでしょうか。

お金を稼ぐ手段として仕事を見た途端に様々な手法で利益を確保する算段を立てます。それが倫理的なものかどうかは法律の解釈のさじ加減で判断しているという感じです。法律が許すなら商売において客に対する嘘や欺瞞は方便のうちということです。利益を確保することが優先的になればなるほど人に対する貢献心や利他的行動からは遠ざかっていきます。

商売を批判する気持ちはありませんが、現代では仕事を通して本来の奉仕の精神を学ぶのは難しいのです。今の状態に対し、出来る限り奉仕の精神を持って。。ぐらいが基本的に限界ではないでしょうか。

倫理は愛より先(奥)にあり、更に次元が高いものです。両立自体に疑問を抱きます。
モラルがあるならそもそも商売は生まれず、モラルがないからこそ利益を追い求めるような気もします。
仮にモラルが本当にある状態なら貨幣は「物々交換を円滑にする為の合理的なモノ」以上にはならなかったのではないでしょうか。利益という概念も生まれず、値段による価値基準も生まれなかったと思います。

仕事はどんな場合においても利益を残す、見返りを求める、損得で行動するというのはその仕事の金銭的な価値以上の行動を抑えてしまいます。資本主義社会においては金銭的な利益と仕事というのは密接な相関関係にありますし、お金を稼ぐという宿命からは逃れられませんが、仕事の本来の意味を見出すことができれば多少なりとも各々の精神性を豊かに育むことはできます。

"人の役に立つ"ということはお金をもらう以上に人が欲していることです。"人の役に立つ"ことによって形成される人とのつながりや調和は本来の人間社会の在り方だと思っています。

仕事とは成果や結果をいたずらに求めるものではなく、そのプロセスにおいてどうのように貢献しているかを確かめながら少しずつ歩みを進めていくものだと思っています。この考え方では現代では淘汰されてしまいそうですが、できる限り奉仕の精神を持って取り組むことが望ましいと思います。

 

ガンジーの名言です

重要なのは行為そのものであって、 結果ではない。 行為が実を結ぶかどうかは、 自分の力でどうなるものではなく、 生きているうちにわかるとも限らない。 だが、正しいと信ずることを行いなさい。 結果がどう出るにせよ、 何もしなければ何の結果もないのだ。
 

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