Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

感謝ってどうやってやるの?

以前当たり前のことに感謝することは"人に役にたちたい"という自然と溢れ出る行動がモラルを形作るということを話しました。しかし実際のところ当たり前と認識していることに対して意識して感謝するということは難しいと思いますし、実際に実践したところで形式的になってしまうと思います。

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感謝は心の状態が重要です。皆さんはどういうときに感謝しますでしょうか?思ってもみないサプライズに感動した時でしょうか?念願がかなって何かが実現した時でしょうか?何か自分の目標が達成した時でしょうか?人生の中でこのようなイベントがあった時にどのような心の状態だったでしょうか? 自分の興奮と幸せを誰かと分かち合いたい!そしてその幸福のうちに自然と感謝の気持ちが溢れ出てくるのではないでしょうか?

そうです”幸せ”という気持ちは何ものにも変えがたいプラスのエネルギーを発散させ、誰かに伝えたい、感謝したいという気持ちにさせてくれるものです。感謝というのは単に発声するとか、心の中で呟くというものではなく、どのような心の状態で自分の気持ちを行動で表すかが重要です。

嫉妬、焦燥感、他人との比較、何かへの強い執着、競争心、闘争心、悲観論に基づく向上心といった、自分はこうであるべきだという理想論を掲げて、現状を悲観している心の状態では目の前の幸福に気づかないんのではないでしょうか。

自分の現状への不満はさらなる欠乏を呼び起こします。特に現代人は自分のことで頭がいっぱいで常に不安や焦燥感に苛まれて幸せと感じることを拒否しているように見受けられます。もっと上を目指さなければならない、もっと収入を上げなければならないと

実現したい夢に対する努力を諦めろととはいってません。ただ物事への過度な執着や、べき論を旨とする義務的な努力は例外なく一片の心の余裕も奪いますし、成果の上がらない自分に苛立ち、自分自身を攻撃し始めます。これでは感謝のしようがありません。

人生においては達観してある程度流れに任せるということも必要です。幸せであるというのは心が満ち足りている状態です。しかし世の中の人々はできるだけ自分のところに利益や資産を確保しようと欠乏感や欲望を原動力にして日々の仕事に勤しんでいます。現代の経営者も欠乏感からくる欲望を肯定している人は多いですが精神的な代償を負っている人はかなり多いでしょう。

本来物々交換をしていた時代では、利己的な利益という発想よりは豊作を皆で喜びそしてそれを分け隔てなく還元する社会システムであったはずです。利益という考え方から解き放たれて皆で幸福を分かち合うというか、自分の幸せをベースにして他人の幸せを願うという原動力によって事がなされるということが私自身望ましいと思いますが、資本主義が台頭しているこの世の中では実現が非常に難しいと思います。

であればこそ、理想主義的になりますが、仕事も自分の収入や利益を優先的に考えるのではなくどのように自分が作り出した価値を還元できるか、幸せを分かち合えるかを優先的に考えるべきです。

幸福感は感謝をする上で最も基礎的な心の状態です。当たり前のことに感謝することは目の前の幸せに気づくことと同義に私は捉えてます。根本的にいまの自分の幸福にどれだけ気づいているかが様々なことへ感謝できるかどうかの分かれ目です。

もっと根源的なことを言いましょう。大地がなければ食物を育てられません、大地がなければ家が立てられません。私たちは大地がなければ生きていけません。大地があることを幸福に感じますか? それとも当たり前すぎて考えたこともなかったでしょうか?

こう言った事実に気付けるかどうか、そして幸せを感じることができるかどうか、そして感謝できるかどうかが幸福な心を作る重要な考え方です。永続的な幸福感とは様々な犠牲の末に手に入れた地位や名誉、利益によってもたらされるものではなく、日々の心の持ちようによって形作られていくということを付け加えておきます。

ウィリアムジェームスはこう述べてます

心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる

 

大地に生かされていることに気づき感謝したあなたは、ゴミを路上に捨てようと思いますか?タバコを捨てようと思いますか?おもむろにタンを道路に向かって吐き出しますか?

まあ私も偉そうなこと言えないんですが、自分の幸せを見つけて、自分の心の状態を大切にしましょうという話でした。

 

 

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