Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

主体的に行動することについて

今日は主体的に行動することについての話がしたいと思います。私の経験上主体性が発揮できる行動というのは共通して直感に基づいているものです。損得を考え、見返りを期待しての行動とは正反対のものです。私も当初ゴミ拾いを始めたきっかけは、たまたまビジネス系のメディアに掲載してあった"ゴミ拾い"に関する記事を読んだことでした。

ゴミ拾いは"脳を初期化しその日の気持ちをリセットする効果がある"という体の見出しで、心理学者の見解を交えながらその心理効果と仕事の生産性について語っているものでした。当時自分で勝手に追い込みすぎて精神的に疲弊している状態の私が、直感的にこれだと思い、荒れすさんだ精神をどうにか落ち着けリセットするために始めました。

ゴミ拾いを初めて続けるうちに新たな発見や、気持ちの変化や言葉では表せない達成感がありいつしか、ゴミ拾いによって得られる"何か"を求めてやらずにはいられないという状態です。これは損得の上にある物理的な見返りや利益と一線を画す極めて精神的なものです。

現在では特に誰も関心がないゴミ拾いについて、どうやったらポイ捨てされたゴミが無くせるか、どうやったら捨てる人が少なくなるかについて真剣に考えずにはいられなくなりました。それがなぜか楽しいのです。

直感に従い本能の赴くままに頭に思い浮かぶアイディアを素直に実践していくとおもしろいほどうまくいくのです。そしてそれが努力だとは感じないのです。そしてその成功体験がやらずにはいられないという感情のスパイラルを生み出し気づいたら毎日夢中でやっているという状態を作り出すのです。

主体性は義務感でしばることはできません、損得感情の上に成り立つものではありません。やっていて苦しい、やりたくないと感じることはもはや主体的にやっている状態とは言えません。

主体的に行動できるかどうかは、直感に基づいて本能に自分の行動を従わせることができるかが鍵なのです。

直感が働くのは一瞬で、時間がたてばたつほどネガティブな横槍が直感を否定し始めます。主体的な行動が可能になるのは、直感が働いたその日までです。思い立ったら即行動が主体性の本質です。そして頭に思いついたアイディアを本能のままに試していくのです。

詳細なプランを立ててそのとおりに何かを実現していこうと努力することはすでに将来に何らかの損得を期待しており、非常に義務感が強く主体的な行動とは言えません。

皆さんも、打算的に自分の人生を考えすぎずに直感的にそして主体的にこうどうしてみると何か見えてくるものがあるかもしれません。 是非自分のインスピレーションを大事にしてください

 

f:id:combodia:20180618182901j:plain

f:id:combodia:20180618182909j:plain

f:id:combodia:20180618182918j:plain