Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

掃除、ゴミ拾いの教育は感謝を通して精神的なベネフィットを与えましょう

"お片づけしましょう!" 皆さんが、まだ保育園や幼稚園にいたころ、教育一環として誰しもが自身の両親や周りの大人、先生たちからしつけられる"お片づけ"。自分で遊んだおもちゃを自分の手で片付ける体験をする最初の一歩です。自分の行為にに対する責任を芽生えさせる訓練としては最も初歩的なものです。まだ自立心や自己規律が備わってない子供には大人と一緒になって"使った物を片付ける"という責任感を養っていきます。

さて歳を取るにつれて親と過ごす時間より、自分自身のために多くの時間を使うようになります。思春期には親の扶養のもとで生活しているものの各々の行動に関しては自主性をある程度認められるようになり、自由が手に入るようになります。自由が手に入れば、最も自分の欲求を満たされる行動をとります。

掃除というのは本能的な欲求を満たす行動から最もかけ離れた、自己規律が求められる行動です。社会性が備わった大人でも自分を律する姿勢を貫くというのは非常に難しいものです。また最もメリットを感じにくい行動は強制力を失えば、必要性を感じるまでやらないか選択肢から消されるということになります。

物質的な豊かさや、快楽に意識が向けられるあまり精神的なベネフィットについては、ほとんどの人は考え方が及んでません。自己規律や主体性を持って掃除をする、人を助けるといった行動は物質的な見返りはほとんどない代わりに、精神的な豊かさが手に入ります。

精神的な豊かさは無形で、残るものではありませんし、自分が特になることを期待するものではありません。感じるものです。ですから自分の欲求を満たす行動の末に何らかの成果や報酬を期待している多くの現代人は理解しにくいところではありますが、掃除をするというのは精神的な感性を磨くという意味では非常に重要なのです。

これは責任感や義務感、強制と一線を画す考え方です。ですから”お片づけ”の教育もこのポイントを常に意識しなければなりません。

最もこのベネフィットを感じやすいのは人から感謝をされた時です。感謝をされるという経験は精神的な感性や豊かさを磨いていくのに非常に役立ちます。ここに主体性の鍵が隠されているわけです。誰しも純粋に人の役に立って人の愛を感じたいと潜在的に願ってます。その部分をうまく利用するわけです。

"自分で散らかしたら自分で掃除しよう"と責任感を持たせるのは重要なことですが、それだけでは自己規律心を養うことはできません。できるだけ子供には、掃除したことに対して感謝を伝えるということをしたほうがいいと私は思っています。それが自分で散らかしたおもちゃを自分で片付けるという行為に対してもです。

片付けて当たり前という感覚では義務感や強制力によってしか当人を律することができず親の強制から解かれれば極端に片付けることに対する優先順位が下がります。

責任感は社会的に人間生活を営むには必要不可欠な能力ですが、やはり多くの人にとってはプレッシャーでありストレスです。掃除に限った話ではないですが主体性を養うには感謝を通して精神的なベネフィットを与えた方がベターです。

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すみません 昨日貼り忘れたゴミの写真です。

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公園に落ちているゴミです。ゴミの内容はお菓子屋ジュース類です。子供が捨てたものと思われます。近くにはタバコの吸い殻が落ちていました。子供は大人の行動をよく見ているものです。

 

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今日のゴミ。大漁でした。空き缶が多かったですね(^-^;)

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