私の(ゴミ拾い)習慣に対する考え方について
さてこのブログを立ち上げてもう一ヶ月というところです。毎日活動の記録を更新し続けて私の活動を世間に啓蒙し続けています。PV等の指標を見てもまだまだ全然ネット上での影響力は小さいですが、この活動を通して少しでも"ポイ捨て"をしている人が自分の行動を振り返り環境美化に意識を向けるキッカケになって欲しいですし、行政がイニシアチブをとって公共のゴミ箱を設置し、積極的に美化を推進する雰囲気になって欲しいと思っています。
まだまだ小さな個人の活動ですし誰にも見向きもされませんが、これが私の当面の目標になっています。
このような目標は私がゴミ拾いを当初始めた時は持っていませんでした。はじめたきっかけは、人の役に立つという動機から始まる行動は精神的な安定と余裕をもたらすというビジネス記事を読んでからでした。
それから無心で毎日30分から1時間の間ゴミを拾い続け気づけばゴミ拾いをする理由が自分の個人的な問題を解決することからゴミのポイ捨ての問題を解決したいというものに変わっていました。続けていくうちに心境の変化が現れて、心構えが変わり大きな目標が徐々に脳裏に生成されていくというのはよくあります。
私自身仕事以外で習慣化できている物事というのはごく限られたものしかありませんが、主体的な考えに基づいて行動を始め、その行動を継続しているというのは今回が初めてのケースです。
今日は皆さんの苦手な習慣を身につけるということについてお話をしたいと思います。
習慣を自ら身に付けたいと強く願う時、何か大きな目標の達成を心に描いている場合がほとんどではないでしょうか?
気を勇んで何か大きな目標を設定し、目標に向かって一生懸命に打ち込んだ結果、自分の思い描いていた青写真が現実のものとなるストーリーを脳裏に描いているのではないでしょうか。
しかし自分が告げた目標を予定通りに達成できる人などほとんどいません。物事が実現するプロセスというのは様々なファクターが絡み合っており、努力ではどうにもならない現実があります。
人生のイベントでは様々な横槍や目標の邪魔をするような事象が山ほどありそれ乗り越えてもさらなる困難が降りかかるということもあります。
これは目標を固定的にとらえた結果引き寄せる現実です。全ての条件が描いた目標通りに整うことなどほとんどありません、固定的に目標をとらえるということは、あらゆる不測の事態に真正面から独力で解決し、様々な条件も自分の力で整えていくという途方も無い苦労が発生することなんです。
よほどの精神力がなければ、そのストレスに耐えかねて習慣の継続を断念してしまうでしょう。継続の力は、より目先の目標を柔軟に変えていくことで可能になる能力です。遠い先の未来など、人間の予想通りにいくほど世界はシンプルにできていません。もっと言えば、今日、本日、今にフォーカスして行動していなければ習慣など身につきません。
ゴミ拾いの例でいくと、先に述べたように最初の目標はごく個人的な部分で、自分の病んでいる精神を正常に戻すことでした。それが徐々に世間様の役に立つような目標に変わってきたわけです。
今、ゴミ拾いを現在楽しんでいるという状態があり、また遠くに霞んで見える、人の行動や意識を変えるという目標があるためこの活動が継続できているんです。
私が座右の銘にしている習慣のための10過剰です。大いに参考にされたし!
- 気を勇んで大きなことを達成しようと思わない
- どんなに小さなことでも着手する
- 小さな成果を馬鹿にしない
- 自分の行動に喜びを感じる
- 今、その瞬間を楽しむ
- 目標は大きくぼんやりと
- 見返りを期待しない
- 努力だと思うことをやめる
- 人にどうみられるかを考えるのをやめる
- 自分の行動を信じる