Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

ポイ捨てをする人に注意しても全くの無駄、まずは気づいてもらおう!

昨夜、犬をつれた男性が歩きタバコをしているのを仕事の帰り際に目撃しました。彼は口にくわえたタバコを足元に落としたかと思うと靴でそのタバコを踏み潰し歩き去って行きました。

私はタバコのポイ捨てを目撃したわけですが、その男性の所作は景色に溶け込むほど自然で、タバコを路上に捨てることがさも当たり前のような雰囲気でした。罪悪感など微塵も感じません。

私は目の前で捨てている動作に一瞬気づかなかったほどです。それほど自然な動作だったということです。私もたしなめるように注意をしましたが、私を無視して歩いて行ってしまいました。

物を路上に捨てることに対して罪悪感を感じていない、むしろその行為になんら疑問を感じていない人を諌めるような行動をとっても徒労に終わるでしょう。それはそうです、掃除をしている側の人間や美化意識が高い人間などとは価値観やモラルが全く相容れないのですから。彼らにとっては多少のゴミを路上に捨てても問題ない、むしろなぜそれが許されないのかと思っているかもしれません。

最近歩道わきに"ポイ捨て禁止"の看板をよく見かけますが、市役所の施策でしょうかあるいは町内会の施策でしょうか。町全体の美化意識を高めるという点では何らかの効果があるのかもしれませんが、実は看板の周辺にはゴミが散乱していることがあります。結局ポイ捨てをする人に対して諌めたり説得することが彼らの反モラル的な行動を抑制するわけではないのです。

人によっては一時的には効果があるかもしれませんが、完全に彼らの常識覆すのは難しいでしょう。

重要なことは"ゴミを捨てるのは憚られる"ということが当たり前だという雰囲気を作っていかなければなりません。彼らの行動を変えるには多数派の人間が彼らの常識とは全く異なるということを強調して理解させなければならないということです。

先の例の"ポイ捨て禁止"の看板は"街を綺麗にしてくれてありがとう"と書くと、ポイ捨てをした人間の視点ではその他大勢が街を綺麗に保つ活動を意識的にやっていてそれが当たり前になっているような印象を受けるんです。

"ポイ捨て禁止"という看板は、ポイ捨てが当たり前だと感じている人間には、ポイ捨てを禁止する側の人間の価値観の押し付けにしか見えません。

このように自分で自分の行為が反モラル的だと気づかせる布石を巻いていくことが、ポイ捨てをする人間の意識の変革につながります。言葉や文字で直接その行為を糾弾することは全くもって意味のないことです。

ゴミ拾いも同様です。このブログでなんどもゴミ拾いは啓蒙活動だと主張してますが、ゴミ拾いの狙いは、ポイ捨てをする人に対して、なんで清掃員じゃない一般人がゴミをわざわざ拾っているんだという疑問を持たせることです。

中には偽善じゃないの?と訝しがる人もいるかもしれません。でもそういう人の意識を変えるのは次のステップです。まずはボーッと私の作業を見て何をしているんだろう?と興味を持ってもらい、疑問を持ってもらいたいんです。

 

私が毎日同じエリアを掃除すれば、彼らが私に対して抱えている疑問はなかなか頭を離れないでしょう?根気強く行動して気づいてもらうというのが人の行動に影響を与えるにはとても効果的なんです。まあまだ私は石ころと同じような存在かもしれませんが。。。

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