Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

タバコのポイ捨てはさらなる規制の強化を呼び込む可能性がある

今日はちょっとタバコの話をしようと思いますが、その前に成果報告です。いつもどおりレジ中袋が3つ分です。ゴミ拾いの区域は駅南口周辺です。実はこの倍はゴミが落ちていたんですが、時間の関係と袋の容量の関係で見つけたゴミの半分は拾うのを諦めました。ゴミ拾いをしているといつもこのジレンマには悩まされます。

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タバコのポイ捨てについて

一番左側に置いてある袋が”燃えるゴミ”ですが、袋からのぞいている大きなゴミの下には大量の吸い殻が入ってます。私が言いたいことは一つ。

 

たばこのポイ捨てがひどすぎます

 

断言できます。今日拾ったゴミの7割はタ・バ・コです。道を一歩踏み出せばタバコ、横断歩道を渡ればタバコ、ふと街路樹の植え込みに目を向ければタバコ。タバコの吸い殻のオンパレードです。

本当に喫煙者にタバコの携帯灰皿を持参している人がいるのかと疑うレベルでタバコのポイ捨てが多いです。みなさんおそらく仕事の帰り道に吸ってるんでしょう。歩道には駅から遠ざかるに従って吸い殻の数が増えています。

みなさんポイ捨てに抵抗がないみたいなので忠告しますが、現在は地方自治体の条例によって個々に罰則が定められているタバコのポイ捨ても、国主導で統括してポイ捨てに対する取り締まり強化に動き出したら、それこそ交通違反のように路上でタバコを吸った時点で警官かもしくは役所の取締官が飛んできて"喫煙違反切符"なるものを出して罰金の支払いを強制するような仕組みが出来上がってしまうかもしれません?

ただでさえ、日本に限らず世界的に、健康リスクの観点から、タバコに対するネガティブキャンペーンが活発なこのご時世に、喫煙のマナーまでも最悪だったらタバコの排斥の動きはさらに加速しますよ?

国の規制というのは全てにおいて、物事の性悪説に基づいて敷かれます。アメリカでは、野外での飲酒は法律によって固く禁じられています。それは飲酒がらみの事件が多発したからに他なりません。野外での飲酒を規制してしまえば少なくとも多くのトラブルが事件に発展することを封じることができます。

逆に日本はどうでしょうか?外で飲んで理性を失ったからといって大きな事件に発展することはまずないでしょう。酔いつぶれて公園のベンチで横たわっているかもしくは最悪街角で喧嘩が勃発するだけです。アメリカに比べれば日本の野外での飲酒がらみの事件は非常に少なく、その大きさや質は極めて理性的な範疇でしょう。

日本人がもし野外での飲酒によってアメリカと同様の事件を起こし続けたとしたら国は高確率で規制に動くはずです。

タバコも同じです。特に日本のゴミのポイ捨てに対する感覚は世界に比べても類を見ないほど厳しいものですし、日本人は総じてルールに厳しく、それを他人にも求める性質があるので、もしポイ捨てをこのまま続けるならば罰則の強化は時間の問題です。ゆくゆくは野外は全面禁煙になって喫煙ブースすら設けられなくなる日も遠くないでしょう。

喫煙者の肩身が狭いと言いますが、やはりマナーによるものが大きいと思います。毎日毎日拾っても拾ってなくならない吸い殻を見ると本当に喫煙者のごく一部の人だけがポイ捨てをしているとは思えなくなります。結構見えないところでやっている人は多いです。

行政が今後タバコの規制に対する優先順位を上げてくるかどうかは喫煙者の一人一人のマナーにかかっています。もし外で至福の一服をこれからも楽しみ続けたいのであれば、今すぐに携帯灰皿を購入してゴミを散らかさないようにすることです。 

 

 

 

FIFAワールドカップのサポーターたちのゴミ拾いについての是非

さて今日はいま世界が注目しているロシアで開催されているFIFAワールドカップのサポーターのゴミ拾いについて話そうと思います。

日本においては落ちているゴミを拾うことは社会通念上モラルが高い行為とされていて賞賛されます。先のコロンビア戦、セネガル戦においてもサポーターは自主的にゴミを拾い集めていました。これについて各国のメディアは好意的に捉えています。

世界的に自分たちが出したゴミは自分たちで拾って片付けるという気運が高まっているという証拠でしょう。セネガルのサポーターも日本のサポーターと一緒にゴミを拾い集めているシーンは非常に印象的でした。

しかしこのゴミを拾い集めるという行為は全ての国の人が手放しで賞賛できるものではないというこです。どういうことかと言いますと、ゴミはゴミを拾うことを生業にしている人たちのだと考える国がいくつかあるからです。

我々日本人が想像もつかないような貧富の差がある国などでは、ゴミを仕分けして使えるものを業者に売り渡したり、路上で売れそうなものを探し出して加工を施し露天で販売することを生業にしている人がかなりいるのです。そのような国では、国民のモラルの問題もある程度関係していますが、ゴミをわざと路上に捨てたりしているところもあります。

私が以前インドに赴任していた頃、毎日通勤するオフィスの周りがあまりにもゴミで汚れているため毎朝掃除をしていたのですが、そのビルのオーナーに掃除をすることをやめるようにたしなめられた記憶があります。

彼が言うには、ゴミを掃除することを生業としている人がいる、また貧困から抜け出そうと必死でゴミの中から商売のタネを見つけようとしている人もいる。ビルの周辺がきたないことは私だって承知している。だが、彼らが今日生き抜くための仕事を奪うことはできない。だから黙認しているんだ。

と話しているのが印象的でした。世界では掃除してしまえば困る人もいるという現実があります。ゴミをなくすことがその人の生きていく糧を奪ってしまうことになりますから。

ワールドカップでは日本のサポーターのゴミ拾いが日の目を見ていますが、開催地の国の状況はやはりある程度は知っておくべきでしょう。我々日本人の良心的な行為が逆の結果を招くこともあることも覚えておかなければなりません。

世界的には自主的な美化活動は受け入れられている傾向にありますが、その国で暮らす人々はその考え方に賛同はしていないかもしれません。その部分を十分考えて行動しなければなりません。

自分自身の善意が全て正義とはなり得ません。解釈の仕方によっては悪意に変わってしまうのです。皆さんももし海外で自主的にゴミ拾いのような活動をされるときは十分に国の状況を知ってからやったほうがいいでしょう。

 

 

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さて私のゴミ拾いがもう半分趣味になりつつありますが、対外的にはこのブログを通して啓蒙しているわけです。ゴミを捨てるなと。。わざと活動を見せて認知をはかってます。私のゴミ拾いの範囲は極めて限定的ですし、朝の時間も限られています。なのでそれほど美化の効果はないでしょう。こうやってブログをとおして皆さんにゴミを路上に捨てないように伝えているわけです。ですのでぜひ私の活動の一端をブログを通してご覧になった方は、ご自分の行動を振り返ってみて、もし"やってしまったことがあるな"と心当たりがあれば改善するようにお願いいたします。

ではこの辺で

長く降り続いた雨もひと段落しゴミ拾い復活。

さて、天気予報によると長く降り続いた雨も昨日でひと段落。ゴミ拾いも今日から復活してやり始めます。

午前中に仕事を終わらせてやってきたのは山下公園。もちろんコーヒーを売るためです。公園内での物品の販売は横浜市の許可がないといけませんが、声を大きくして言えませんが、そんなもん取ってないしチクられて警察でもきたら「すみません」といってどけばいいかなといった感じで堂々とコーヒー売ってました。

行商で法律や条例に準じてやろうと思ったらそら大変です。許可を通すにも割とめんどくさい手続きがありますが、一番嫌なのは売れないと思ったら別の場所で売ることができないということです。その場所で許可を取ったならその場所で商売しなければならないので辛いです。

まあ私の場合は本格的に商売をしているわけではないので割とグレーゾーンに入るかと思います。

休日の山下公園は時間がゆったり流れてます。通行人の歩くスピードも遅くかなりリラックスした雰囲気でした。そのため財布の紐もある程度緩むかと思っていたのですが、思った以上に怪しがられてしまい全く売ることができませんでした。まあいつも通りですけど。

通行人はほとんど手ぶらでした。手にゴミを持つという煩わしさを感じたくないのかもしれません。空き缶はゴミ箱がない日本では本当に捨てるのに困るゴミですから。

まあ物を飲み食いしなから公園内を過ごしたいという需要は見つけられませんでしたね

次回の行商に期待です。

 

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さて平塚に帰ってから少しゴミ拾いです。ものの30分くらい駅の北口周辺を掃除してましたがレジ袋4袋分があっというまに満杯になってしましました。特に空き缶のポイ捨てが目立ちました。みなさんゴミを捨てる場所がないのはわかりますが、せめて自販機の横や、満杯になっているゴミ箱の上に放置するのではなく、ある程度空いている自販機の横に設置されているゴミ箱まで持って行って捨てましょう。そんなに造作のないことです。

捨てたゴミは結局誰かが片付けるのですから、自分の飲み終わった空き缶は最低限自分でゴミ箱に捨てるか持ち帰るようにしてください。ゴミ箱の上に放置しているのはゴミ箱に捨てたことにはならないということを理解してください!

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缶コーヒー行商3回目。10本売りました。

日付をまたいでしまいましたが、昨日は雨天のためゴミ拾いは中止です。平塚では朝も昼も割と強く雨が降っていたので雨天決行とは相成りませんでした。

今日は仕事終わりに缶コーヒーの行商を決行しましたよ。会社でラフな格好に着替えてコーヒーを売りにやってきたのは横浜はみなとみらい桜木町。時刻は午後9時を少し回ったところ。 仕事帰りのサラリーマンやOLがぞろぞろと駅に集まってくる時間帯です。またこれ見よがしにリア充を見せつけるカップルもいちゃつきながら闊歩しています。

多少雨がパラつく中販売を開始! といっても"缶コーヒー50円"とかかれたダンボールの切れ端を胸の位置に掲げて突っ立ってるだけです。声かけはやめるようにしました。私はただでさえかなり怪しく目立っているのに、その怪しい人間に声をかけられ、それに反応してしまうとその通行人が周囲に奇異な目でさらされる可能性があり、通行人もそれを気にして私の声かけを無視しているのに気づいたからです。

路上販売で物を買う人はかなり勇気のある人です。路上販売で購入する人はなるべく人には購入している姿を見て欲しくないと思っています。だから今日缶コーヒーを購入してくれた人も僕に気づかれないように僕周りを何周かして、僕の周囲に人が少なくなったのを確認して購入していました。なのでそうした行動心理は売る際には最大限配慮しなければならないもので、なるべく購入希望者の自由意志を尊重しなければなりません。

通行人がこちらをジロジロ見ている場合は、"缶コーヒーはいかがですか?"などの売りこみはせずに、単純に"お疲れ様です"とか"ご苦労様です"と言って挨拶するだけに留めます。

さて桜木町の駅前ではカップルに2本売れましたよ。ちょうどデート?の食事から帰ってきたところだったようでした。カップルの男性は女性に買ってみようと提案して遠目で僕の様子を観察してました。なかなか買いづらかったようで僕の周りをウロウロしてました。買いたそうな雰囲気は遠くからでもよく伝わります。が、ここで売り込んでしまうと逃げられてしまうと思い、気づかないふりをして立っていました。案の定近寄ってきて購入してくれました。

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やはり買いやすい場所というのはあるようです。商売では恥を捨てて目立つのはいいですが、お客さんに恥をかかせてはダメです。商売するには十分目立つけれども、自然に販売しているように、場所は考えて確保しなければならないし、怪しく見えないようにある程度、体裁は整えなければならないと感じました。

桜木町の駅前のど真ん中のスペースを陣取り物を売っていたのでは無視されるのは当然ですね。お客さんのことを考えてませんでした。

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さて野毛の中通りで駄目押しの行商です。もうすでに午後10時を回っていましたが決行です。人通りは土曜日の夜だからでしょうか、期待した以上に人の往来があります。

ここでの狙いは酔っ払いたちです。彼らは知らない人に声を積極的にかけるほど陽気で普段の理性を失っています。そのためふざけて買ってくれる可能性を期待したわけです。

実はここで8本売れて持ってきた10本の缶コーヒーが全部完売しました。結局缶コーヒーを購入してくれたのは野毛に店を構えるキャバクラやガールズバーの黒服たちでした。彼らは私にこう言って近づいてきました。 "にいちゃん? 旅してるんだろ?全部買ってやるよ!" 私のラフな服装を見るや全国津々浦々を行商で資金を補填しながら旅をしているというふうに見られたのです!

私は本当のことは言わずにそうですと言い適当に話を合わせました。私がこの行商の本当の目的を言ってしまうと彼らの善意を無にしてしまうと思ったからです。

ここで気づいたことは、人は売る人間に、そこで売る理由を無意識に求めているということです。怪しいと感じるのは信用がないのもそうですが、売っている理由がはっきりしないからです。

キャバクラの黒服達は、全国津々浦々を旅している貧乏な独身男性が旅費の補填に四苦八苦してなんとか缶コーヒーで少しばかりの収入を得ようと頑張っているように見えたわけです。

その売る理由を彼らは僕の外見から判断しました。お客さんが感じる売り手のストーリーや背景は視覚で作り出されて、様々な感情が錯綜し購入の決断を下します。黒服達は単純に喉を潤したいという気持ちからではなく、僕への同情から購入を決断しました。

だから商売において売るための演出を行うというのは非常に理にかなっているんです。お客さんに売り手の伝えたいメッセージや売りたい理由、ストーリーを視覚的に伝えていくというのは物を売る上では非常に重要なファクターであると感じました。

商売上の演出は、購入者に伝わっている売り手の情報と売り手側の思惑に乖離があるため、恣意的な印象操作に捉えられて、やり方によっては商売人のモラルが疑問視されると思います。

今回の、結果的に購入者の同情を引くことになった売り方はあまり褒められたものではありませんが、商売上ではお客さんを騙さない程度に演出を加えていくことがうまく物を売る秘訣なのかもしれません。

二人のユダヤ人の乞食がフランスで金を儲けるという話をご存知でしょうか?

中世のある時に、二人のユダヤ人の乞食が、 キリスト教王国フランスにやってきました。 二人は生き延びる為にお金を儲ける 必要がありある事を考えました。 一人はユダヤ教の象徴であるダビデの星を 置いて、道ばたで施しを乞いました。 もう一人は、キリスト教の 象徴である十字架を布の上に置き、 道行く人に恵みを請いました。 当時のフランスはキリスト教徒が 圧倒的に多い訳ですから、 当然、十字架を置いた方に多くの 硬貨が投げられました。 そして二人のユダヤ人はある行動に移します。 十字架の方のユダヤ人はお金が ある程度貯まると、 物陰でその硬貨をもう一人のダビデの星を 置いているユダヤ人に渡しました。 そしてダビデの星の方に多くの コインが山積みにされ、 十字架の方にはまったくない と言う状況をわざと作ったのです

引用:コミュニケーションスキル上達の道~人間関係マステリー

頭を使って金を稼ぐというのは買い手側にストーリーを見せるということです。このユダヤ人達の場合も相手の同情を利用して物を売っていますが、買い手側の感情を動かすのは紛れもなく物や売り手から感じるストーリーなのです。ですから今売ろうとしているものがお客さんのどういう感情に結びつけば購入に結びつくのかということを考えてストーリーを立てて、自然にお客さんがそのストーリーを感じ取るような演出をすれば物は売れていくのではないでしょうか?

偉そうに書いていますが。行商で気づいたことの備忘録です。

 

 

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横浜駅にて缶コーヒー行商2回目 そして駅周辺のゴミ拾い

早朝6時に横浜駅まで缶コーヒーを売りに行きましたよ。今日は売り上げ0ですわ。駅前に突っ立って大声張り上げてコーヒー売っているんですが、冷ややかな目線が本当につらい。"お前そこで何やってんの?そこで"感がひしひし伝わってきます。横浜駅は時間帯問わず人でごった返しているので、一人や二人買ってくれる人が必ずいると思ってここでコーヒーを売ることに決めました。

朝の通勤ラッシュはそもそも8割近くの人が勤め先に急いで行くことが目的なので余計なことに時間を取られたくないと思ってます。私みたいな怪しい人間が50円という市場価格からしたら破格の値段でコーヒーを駅前で売っているということ自体にほとんどのに人が何かしらの疑問を感じていると思います。ほとんどの人は売り手に関する情報不足による不信を感じているのではないでしょうか"お前は何者で、なぜそんなことをしているんだ?" 特に都心に近づくほど人の警戒心は強くなりますし、こちらの呼びかけに反応してくれる人は少なくなります。

やはり缶コーヒーの行商と言えど事前のマーケット調査はやるべきなのかと考えました。今日缶コーヒーを売っていて気づいたのは

  • 人が多いからといって単純に売れる確率が上がるわけではない。人が少なくても需要があれば十分売り上げが立つ
  • 人の性向を見極めなければならない。コーヒーを買ってもいいかなと思えるタイミングはどこかということ
  • 怪しさを感じさせない演出をする。例えば一目で飲料販売員だとわかる服装にするなど
  • 通行人が私からコーヒーを購入する十分な理由がある場所で売る。砂漠では水は当然売れる。いくら安いといっても、信頼やブランド力が高いコンビニがあれば人はそこから飲料を購入する。競合の存在を忘れてはダメだ
  • やたらめったら声をかけたからといって売れるわけではない。売り込む対象は買うかどうか迷っている客だけにする。

安いから売れるというわけではないんです。やはり人は総合的に判断して購入の決断を下してます。特に"安心感"などの信頼につながるウェイトは購入を決断する要素の中では非常に大きな部分です。すでにビジネスが回っている状態で物を売るのと、全く信頼がない中で0から売っていくのとでは戦略が全く違います。

信頼に投資すると考えれば、フリーマーケットで物を売るというのは非常に合理的な考え方です。全く孤立した状態では一から声がかけやすい身なりや、声の掛け方をマーケティングに合わせて研究していくほかありません。

 

 

 

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横浜駅西口付近にある喫煙スペースです。ここに強行突入して一人一人にコーヒーを売り歩きましたが。撃沈です。顔に火が出るくらい恥ずかしかったです。ですが、通行人よりは、購入の需要があると思い突入しました。タバコを吸っている何人かは缶コーヒーを飲んでいましたから。

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さて帰り際にゴミ拾いも忘れません。横浜駅は本当にゴミが散らかり放題ですね。ゴミ箱設置すればいいのになー

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ボーッとゴミ拾い 至福のひととき

7月の上旬に平塚で七夕祭りが開催されるからか、ポイ捨てのゴミの量が減っている気がします。いつも私がゴミ拾いをしている朝は駅前で掃除なんてしている人はいないんですけど清掃員が掃除してました。ごく限られたエリアでしたし、大きなゴミは片付けてませんでしたが。

何かのイベントで美化の気運が高まるのは非常に願っても無いことですが、一過性でないことを願っています。

朝の起き抜けに袋をもって、ぼーっとゴミ拾いをするのはとても至福の時間です。まだ眠たい脳がゴミを拾うことでリフレッシュして徐々に覚醒していく感じがたまらなく気持ちいです。

この何も考えずに目についたゴミを手当たり次第に拾って袋に入れる感覚は脳の中をマッサージされているみたいです。できればずーっと拾っていたいとかじるときもあります。何なんでしょうこの感覚は。とても不思議です。

 

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人生のシナリオについて

今日は早朝雨が強くゴミ拾いができませんでした。今週は雨が多いので本当にまいりました。一回でもやらない日があると習慣はいとも簡単にくずれるので天候に自分の予定が左右されるのは本当にいつも腹立たしいんですが、しょうがないですね。

 

今日は人生のシナリオについて話したいと思います。特に自己啓発本に触発されてこじらせたというわけではなく私の本心、心で思っていることをお話ししたいと思います。

皆さんは自分の人生がうまくいっていると感じますか? 幸せでしょうか? 自分の思い通りの人生を謳歌できてますか?

この問いに対してポジティブな回答をする人はそんなに多くないでしょう? 何をやってもうまくいかない。こんなに頑張っているのに自分が望んでいる現実がなかなか実現しないといったもどかしさや悶々とした感情を抱えている人が多いのではないでしょうか?

それはなぜでしょうか? それは自分の人生のシナリオからはずれているんと私は思うんです。人生のシナリオというのは、我々がこの世に生を受ける前に大まかに決めたミッションです。これを決めて我々はこの世に生を受けます。この人生をどう学んで魂を成長させていくかというミッションは人それぞれ違います。そしてこの人生のシナリオを通して素直に学んで修行していくことが幸福を得られる鍵です。

皆さんは実は人生のシナリオに逆らっているのではないでしょうか?万人の人生は得てして幸せになるようにできていますし、人生の歩みを進めているまさに今幸福でないというのはおかしいということです。

人生のシナリオとは頭で考えるものではなく直感に従うものなのです。どうでしょうか?直感に従うことを恐れていませんか? 皆さんがもし自分の人生が不満に満ちていると感じたら人生のシナリオから逸脱していると考えるべきです。頭で打算的に考えてうまくいくほど人生は単純ではないのです。

人が羨む成功を掴んだ起業家や歌手、俳優などの有名人はみな自分の直感に従って行動した人たちなのです。打算的に自分の人生を損得で計算して計画した人ではなくその道を歩むことがもともと生まれる前から決められており、その人生を歩む過程で次々と幸福が現れるんです。

成功した人のことを"運の要素が強い"と言うひとがいますが、僕から言わせればその通りで、人生のシナリオに沿っていれば次々と予期せぬ幸運が舞い込んでくるんです。

例えあなたが金持ちに憧れを抱いて、尊敬する人物の人生をトレースして人生設計をし行動したところでうまくいかない場合の方が多いんです。それは金持ちになることがあなたの人生のミッションではないからです。どんなに努力しても結果が振るわない。自分を律して追い込まないと努力ができないというのであればそれはあなたが目指す道ではないのかもしれません。

そもそも"努力"をしなければ成功できないのであれば、例え世間的に成功した後でも"努力をし続けなければならない"という苦悩からは逃れられないでしょう。そう言った意味では真に成功したとは言えないんです。

いいですか?苦労というのは他人からの評価です。自分から買ってするものではないのです。自分が幸せだと思うことをやることが人生の目的であり、あなたのミッションなんです。 だから今何をすべきかにフォーカスすることが大事なんです。

大成したひとの苦労話を真に受けて自分を押さえ込んで努力するというのは最も幸福から遠ざかる行為です。蟻地獄のようにいくらもがいても抜け出せない状態になります。

人生の質や人生のミッションというのは他人と違って当然です。現世だけが自分の人生ではないのです。人の成熟の度合いは前世の人生も考慮に入れなければ、人より突出して能力が高い人間がいることの説明ができません。人生において何が自分のミッションなのかは自分の直感を信じて何をやれば幸せかということを基準に考えるべきで、本当は望まない富や名声を不用意に求めるべきではないのです。

そうすればあなたが思っても見ない幸運やラッキーが訪れるはずです。日頃、あなたが富や名声を得た人に対して"運がいいだけだろ"と言っているのと同じように。

ほとんどの人は自分の人生を打算的に考えます。年収はいくらないと結婚できない、仕事は年収が高いものをえらばなければならない、老後が不安だから何か資産運用を始めなければならないと、と自分の先々の不安を元に人生を設計してます。不安は不安を呼びます。どんな用意周到な人生でも直感を信じた行動をしなければ不安が尽きることはないのです。

先々の不安で自分の直感を押さえ込んでしまえばあなたのミッションは果たされないまま人生を終えることになり、結局幸福を得られない人生だったと後悔すると思います。

スティーブ・ジョブズも言ってます。直感を恐れないで行動してください。幸運は信じた人の元へとしかやってきません。幸せはあなたの直感の中に必ずあります。自分の生活に保守的になるあまり直感を否定して行動を鈍らせてはダメです。あなたが考えている以上に巡り合わせや幸運というものが人生のイベントとして発生します。それは打算的な考え方では到底予想ができなものです。

是非自分のミッションを再確認するためにも、直感を信じて行動してください。なにも大それたことをしろと言っているわけではないのです。やりたいなと思ったことをどんなに小さなことでもどんどんやっていくことです。幸福と感じる時間を増やすことができればあなたはあなたの人生のシナリオの軌道上に乗っていると言えるでしょう。

やりたいことも満足にできない時代に生まれてきたのもあなたのミッションの一つです。色々な制限がかかるこの世の中でできる限り幸せだと感じることをやっていきましょう。あなたは紛れもなく幸せになるために生まれてきたのだから。