ゴミ拾いは偽善かどうかについて
ゴミ拾いが偽善かどうかの問いかけをインターネットでよく見ますが、私がどういう目的でゴミ拾いを行なっているか知ることは、私の行為を見ている傍観者にとっては重要なことでしょうか?
現実的に綺麗になったかどうかが重要でしょう。私がどういう気持ちでゴミ拾いをしたとしても、結果的に綺麗になったのであれば双方に不利益はないはずです。
ゴミ拾いをインターネットを使って方々にアピールすることが偽善になる、人に善行を見せるなどおこがましい、人に見返りを求めずひっそりとやることが真の善行であるということをいう人がいますが、なるほど慎ましく人に役に立つという顕示欲を隠して行動するというのは本来の日本人の考え方かもしれません。
しかしゴミ拾いにはこの考え方はあてはまりません。私の持論ですがゴミ拾いは美化活動としてはなかなか難しいボジションにあると思ってます。というのも効率や生産性を発揮することが非常に難しいからです。手作業でゴミを拾い集められる量やエリアというのはたかがしれてますし日にちを跨げばまた路上にゴミを捨てる輩が現れます。
結局現実的に考えてゴミ拾いは啓蒙活動以上の効果は発揮できないんです。道ゆく人にアピールしてゴミを捨てることがよくないということを日々啓蒙していくことがゴミ拾いの真の目的です。 ゴミを一掃するのであればそれこそ政府の莫大な投資によって様々な機器を揃えて、人を雇ってやるのが一番生産的です。
アピールが偽善というのはゴミ拾いの目的を理解されていないと思います。仮にそういう目的を持たずに偽善としてゴミ拾いをやったとして、なにか不都合でもあるのでしょうか?批判される筋合いなどないと思います。
一つ言っておきますが、ゴミ拾いの目的がなんであれ、世の中で主体的に自ら行動できる人は本当に限られてます。そういう人の努力を批判するのはよくないと私は思ってます