Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

公共のゴミ箱を設置した方がいいと思う理由について

こんにちは! 今日も元気一杯ゴミ拾いです! さてルートは北口駅前とパールロード周辺です。平日は早朝でも自宅から遠く離れたところはなかなかいけないので、どうしても同じエリアでのゴミ拾い中心になってしまいます。そのため皆さんにお見せしているgooglemapのゴミ拾いの場所を色別にラインで囲んだエリアマッが一段と見づらくなってきてしまいました。パールロード周辺といえば北口の駅前周辺になるので特にマップで確認する必要もありませんが、、、

毎回同じルートをやっているのでマップに様々なエリアのラインが重なり合ってゴチャゴチャしてます。

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今日の収穫はレジ袋中が3つほどです。内訳は燃えるゴミ、燃えないゴミ、缶、瓶、ペットボトルです。今日のゴミは非常にオーソドックスで拾うのにちょっとためらうようなゴミはありませんでした。空き缶は今日は大漁でした。袋から溢れるので、自販機の横のゴミ箱にご協力いただき、多少量を減らしてゴミを持ち帰ってきました。特に西口駅前の花壇には大量に空き缶が並べられていました。

駅の清掃員はいるようですが、決められた掃除のテリトリーいがいは積極的に掃除をやらないようです。ただ目の前にゴミがあるんだった拾ってくれてもいいのにとは思います。 缶が花壇に置かれている理由は明白です。ゴミ箱がないんです。いや正確にいうと自販機の横に設置してあるゴミがいっぱいなのです。私が見る限り万年自販機のゴミ箱がいっぱいなのですが、誰か収集にきているのでしょうか? それともゴミを捨てる人が多いんでしょうか? 駅前の一角に置いてある自販機のゴミ箱はそれ一つしかないのですが、それも問題だと思います。

ゴミ箱設置についての是非

このブログで私は何度も言っていますが、ゴミ箱設置は環境美化においては急務です。ゴミ箱の設置の是非については今でも賛否両論あると思いますが、私の考えではゴミ箱を設置する方がボランティアを動員してゴミ拾いをやるよりはるかに効率的で生産的です。

ボランティア活動なんてものはそう頻繁にはできません、結局ゴミ拾いのボランティアが掲げている目的は、ゴミを拾うことを通じて人々に環境美化への意識の変化や高まりを期待しているわけです。私の場合も人のためにといいながら、人がゴミを捨てることに対して後ろめたさを感じてもらうことを期待しています。

結局ね、ゴミ拾いは精神論なんですよ。ゴミを道端にすてる輩なんて仰山おりますわ、はたから見たら、また誰かがどこかでポイ捨てをするにも関わらず馬鹿みたいに拾い続けている。こんなのいたちごっこですよ。生産性も効率性もあったものじゃない。ゴミ拾いは本当の美化にはなり得ないんです。唯一対外的に得られるアドバンテージといえば、ゴミ拾いをすることによってゴミを捨てることに対する後ろめたさを人に伝えることぐらいでしょう。

なので本当にポイ捨てやゴミの放置の問題を解決しようと思ったら、現実的に考えてゴミを捨てることに対する利便性をあげないといけないんですよ。ゴミ捨て禁止や新たに条例を設けて、も捨てる人は捨てます。

 

また、これだけ世の中の利便性が向上しているのに、ゴミを捨てることに関しては利便性を追求せずに自己責任に委ねるというのはちょっと無責任な感じがしますがどうでしょうか? 物を買う場所が町中に溢れているにも関わらず、ゴミを捨てる場所がほとんど見当たらないというのは異常です。

 

日本人は特に自己責任を個人に強く要求しますが、それが裏目に出てます。平塚でも大きな幹線道路や人通りの多い駅前は綺麗ですが、一歩人気のない路地に入るとゴミがかなり散乱してます。ビルの間にはどれだけゴミが挟まっているかご存知ですか?

また、放置されているゴミは、ほとんどの場合、放置した誰かの責任だから、それをその誰かが引き取りに来るまで片付けないという意識があり、ゴミが同じ場所に数ヶ月もずーっと放置されています。

日本人は自己責任で街が綺麗に保たれると信じているようですが、これ以上利便性が高まり さらにコンビニの店舗数が増えて、さらに手軽に食べられるコンビニ食がどんどん生産されればそんな精神論はもはや通用なくなりますよ。

精神論を片手に民族的な倫理観の優位性を雄弁に語るのもいいですが、私はもう少し現実に目を向けた方がいいと思ってます。特にこのことを行政に強く訴えたいです。 なんでもかんでも政府に押し付けるわけには行きませんが少しお金を投資すればゴミが散乱するなんてことはないんです。

こういう問いかけをすると、ゴミ箱を無くしたから、ゴミのポイ捨てが減ったという理屈を盾にゴミ箱の設置に異論を唱えるひとがいますが、それは街の一面しかみていないから言えることです。

実は人目につかない場所に家庭ゴミや、粗大ゴミがごっそり捨てられているという事実を知らないだけです。そういうゴミは誰にも気づかれないまま蓄積して行きます。ゴミ箱を無くしたことはさらに"隠れたゴミ"を見つけにくくしている問題が発生していて、以前よりさらに厄介になっていると私は感じています。

 

ゴミのポイ捨てに関して日本人は本音と建前が見え隠れします。建前では"公共の場所にゴミをすててはいけない"といっていますが、本音では"公共の場所では捨ててはいけないが、捨てる場所がないし、人目につかない場所なら置いて言っても問題なかろう"となる。こういう人が結構多いと思います。

すこし道徳的に問題がある考え方ですが、公共の場所を綺麗に保つという意識がまだ残っているのなら、ゴミ箱を設置すれば、かなりこの問題は改善されていくと思います。

また、家庭ゴミを出されるリスクを唱える人がいますが、そんなのは人目につかない場所にこっそり捨て去られることを考えたらリスクでもなんでもなく、むしろ生産的にゴミを回収できるというものです。

今や、コンビニでさえも"ゴミを捨てて欲しくない"と思っています。全て店内に設置して、店で購入した商品のゴミしか受けつけない体裁をとっている。自販機の所有者のほとんどは缶や瓶を回収するためのゴミ箱の設置を取りやめた。そのため一部の自販機のゴミ箱の中にあらゆるゴミが殺到している状態です。

 

唯一公共のゴミ箱と言えるのは駅に設置されているものだけです。しかし、ゴミが出るのは電車に乗っている間ではなく、例外なく街で買い物をしている時です。なのでかなりスペースに余裕がある駅のゴミ箱はスカスカです。これではゴミの回収が全く生産的ではないのです。

"ゴミを持ち帰る"というスタンスは倫理的、道徳に的には賞賛されますが、この消費社会では全く相容れないということをどうか気づいていただきたい。これは経済の循環からも逸脱している行為です。極論ですが、景気をよくするために政府が企業の生産を後押しするような施策をしているのに、消費者がゴミ箱がないから、ゴミがなるべく出ないように消費を抑えているとしたらどうでしょうか?企業努力としてゴミをなるべく出さないという施策も打つことができるでしょう、しかし利便性がさらに高まるとすればこれは根本的な解決にはならないんです。

長く書きましたが結論です。消費社会においてはゴミをいかに生産的に処理するかが鍵です。ということでゴミ箱は必須です。特にGDP世界3位の経済他国日本がゴミ箱がないなんて、景気の循環を逸脱する行為です。消費社会の中で利便性をあげて豊かにしていくには行政は先陣を切ってゴミ問題に取り組まないとならないんです。

ゴミ問題と消費社会。これはトレードオフの関係です。消費を促して景気を好循環にしたければ、ゴミ問題に積極的に投資しないと私はいけないと思います。 ゴミを持ち帰るというスタンスを貫くのであれば、税金を高くして消費を抑えるしかありません。

ゴミを持ち帰るという精神論に終始するのはやめましょう。