Rubbish Collection in Hiratsuka

湘南平塚でゴミ拾いをしている人のブログ

"ゴミの種類が違います"と張り紙をするだけの市役所

平塚は首都園内ですが、東京都心に比べると圧倒的にゴミの量が少なく、目立ったゴミは少ないですがそれでも私が毎日ゴミ拾いをするルートには最低でもゴミ袋中サイズ3つ分のゴミが毎日路上に落ちています。

平塚駅南口から134号に走る大通りは一見ゴミが落ちていないように見えますが、ゴミを捨てる方は、植え込みの下に捨てたり、自販機の裏に捨てたり、排水溝に落としたり、建物の隙間に押し込んだり巧妙に気づかれない捨て方を徹底しています。

ご拾いを始めた当初はコンビニのレジ袋小サイズ3つ分しかゴミが拾えず、平塚はゴミ拾いしなくても十分に綺麗だと思っていたんですが、次第にゴミ拾いのノウハウが身についていくにつれ、ゴミを拾う量は増大していきました。

七夕祭りの前後ということもありますが、7月に入ってからは家庭用ゴミ袋中サイズから大サイズ3つ分がパンパンになります。新たにゴミ袋を買い足しました。

拾うゴミの量が増える原因はもう一つあります。それは家庭ゴミです。単なる弁当箱のパッケージや菓子の袋、おにぎりのプラスチックフィルターであれば、いくら詰めても風で吹き飛んでしまうほどゴミ袋の容量にはまったく影響はありませんが、家庭ゴミは一気に容量オーバーです。

この家庭ゴミは洗剤の使い捨て容器、化粧品の容器、シャンプーリンスの容器、または食品にまつわるゴミまでありとあらゆるものが入っているので分別がまず大変で、燃えるゴミ、燃えないゴミ用に用意したゴミ袋はあっという間に時半分埋まってしまいます。

分別の方法には問題がありますが、家庭ゴミを公共の場所に放置するという行為は公共のゴミ箱があった昔も、公共のゴミ箱が撤去された今でも変わらずやる人はやります。むしろ、昔は公共のゴミ箱に捨てていたところを、今は見つからないように植え込みや物の陰に隠して捨てるところを見ると、今の方が巧妙で悪質な感じはします。

ゴミ箱をなくしたらこういう弊害が出てくるのです。表面上の綺麗さに惑わされて一喜一憂しているのは愚の骨頂です。

ゴミを拾う人間がいないと放置された家庭ゴミは誰にも拾われないまま蓄積されていくんですよ? 市役所はそういうゴミの存在を知っているんでしょうか? ゴミ対策については行政は国民の自己責任任せだから優先順位が低いかもしれませんが、もう少し注意をこちら側に向けても良いと思います。

 

 

"ゴミの種類が違います"と張り紙をするだけの市役所

下の写真はペンキ容器が入った袋です。ゴミの収集場所に出してありました。不分別、さらにこの種のゴミの収集日ではないということで平塚市循環型社会推進課の張り紙がしてありました。このゴミはこの場所に置き去りです。

私は流石にペンキは自宅のゴミ倉庫に持っていけないので、このゴミを拾いませんでした。この張り紙をされたゴミはずーっと放置されます。市役所で処分ないし保管できる場所を確保しているのなら張り紙などせずに持っていけばいいのにと思います。

自分の出したゴミが、収集日の該当種類のゴミと見当違いのものを出しているなんてことは出した本人は十分気づいてるでしょう?多少分別のつく大人だったら出していい種類のゴミかどうかは判断できると思いますよ。

そんな確信犯的なモラルの低い人がゴミを"あっ間違えました!今日じゃなかったわ!"なっていって引き取りに来ると思いますか?

張り紙なんて無駄なことをしないでとっとと処分できる人が処分しちゃえばいいんですよこんなものは。こんなところに放置して誰が片付けるんですか?私にも片付けるゴミの種類に限界がありますよ。

ゴミ拾いで拾ったゴミを捨てる場所を提供できるのに、このゴミを処分できない理由なんてないでしょう? 結局掃除をしなければならないんだったら見つけたその場で拾ってしまえばいいですよ。

注意するために張り紙を貼ったところで捨てる人は捨てます。捨てた人間の責任感に訴えたって、わかってやっている人間には通用しませんよ。逆にまっさらに綺麗に掃除してしまった方がよっぽど捨てづらい雰囲気を作れるんですよ?

極論になりますが、市役所のやりかたは私が毎日拾ってるゴミ一つ一つに"ここは捨てる場所ではないのでゴミ箱に捨てましょう!"という張り紙をしているだけです。

単に張り紙をして注意を促す行為が本当に街の美化につながっているか考えてくださいよ。張り紙をした紙だってゴミになるんですよ?もうちょっと頭を使ってください。

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私が朝にゴミ拾いをする理由

私はゴミ拾いを、朝の起き抜けと同時に開始します。これにはいくつか理由があるんですが、最も大きな理由はいつでもスタートダッシュができるように脳の状態を整えることにあります。私はゴミ拾いを始める以前、起床後にまずやることといえばパソコンを開いてメールをチェックしたり、ニュースを見たり予定を考えたりすることだったんですが、脳が全く動かず作業の割にぼーっとする時間が長かったので朝の貴重な時間を有効に活用できずにいたずいたんですが、ゴミを拾うようになってからは変わっていきました。

朝ゴミを拾うようになってからは、その日の段取りや作業がスムーズにいくようになりました。ゴミ拾いで体を動かしていると頭が自動的に思考モードになってあれこれ勝手に予定やTODOを整理し始め、仕事にまつわるアイディアもたくさん出てきます。

ゴミ拾いを終えて一旦自宅に帰ればそれまで1時間もかかっていた作業がほんの十数分でできてしまうのです。これは交感神経と副交感神経の切り替わりのスピードの違いによるものです。

脳がまだ活発に活動していない副交感神経優位の状態で強制的にゴミ拾いを始めると最初はぼーっとしているんですが10分も経てば次第に頭が冴え渡り思考モードに突入します。ゴミ拾いなどの単純作業はクリエイティブな思考を深めるのに非常に向いています。そしてゴミを拾う作業が道端に落ちているアイディアを拾い集めるという感覚になっていくので脳の思考回路が活発に働いている気がします。

また朝の掃除は脳と心を初期化してくれるので情報の吸収率や思考のパフォーマンスが、やってない時と比べると回復率が全く違いますし何をやるにしても生産性が違います。朝のスタートダッシュを決めるには、いか早くに副交感神経を交感神経に転換させるかが鍵です。私の場合はその方法がゴミ拾いということです。

皆さんはゴミ拾いはなかなかできないと思うので、朝起き抜けに散歩をして見てはいかがでしょうか。また寝たいなと感じる、副交感神経優位時に体を動かし始めるというのがコツです。 

朝の時間帯を有効に使うには自分の脳の状態を逐一把握してベストな状態に整えることが何かをいきなりやり始めるよりも重要です。

ということで今日はゴミ拾いの話題から逸れましたが、朝の時間を有効に使いたい方は参考にして見てください。

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ゴミを捨てないこと"は"ゴミを拾うこと"よりも価値がある

今朝のゴミ拾いは昨日に引き続き駅前の駐輪場に設置されている自販機のゴミ箱です。

まだ多少周りにゴミが散らかっているものの、なんとか現状復帰できました。まだゴミ箱の中は整理できていませんが、大量のゴミがゴミ箱の上やそこかしこに積まれていたを考えると見た目はだいぶ改善したと思います。

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これが昨夜に片付けた時のもの。なんとか頑張って綺麗にできました。大量に出たゴミをマンションのゴミ倉庫に持って行く時すれ違った住人の方に思いっきり睨まれました(汗) やはり外からゴミを持ってこられるのは嫌みたいですね。

ただ倉庫は広いし、ゴミは頻繁にゴミ収集車が回収してくれるので常にスペースはありますし直接的にマンションの住人の方に迷惑をかけてないので大丈夫だと思います。 

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これが今日のゴミです。瓶が多かったかな。燃えるゴミ燃えないゴミはほとんど食べ物の包み紙や袋です。ほんとんどのゴミはビニール袋の中に燃えるゴミも燃えないゴミも一緒くたに入れてあったので、きつく結んである袋を開封して分別しなければならないのは非常に骨が折れました。まあなんにせよこれでようやく七夕祭りの後片付けがひと段落したということですね。

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"ゴミを捨てないこと"は"ゴミを拾うこと"よりも価値がある

 

ゴミ拾いはなかなか簡単にできるものではありません。イニシアチブをとって主体的に行動することが難しいという側面もありますが、大きな問題はゴミを保管する場所です。これが確保できなければ、拾ったゴミをどこかで手放さなければならず遅かれ早かれ近隣に住む方々に迷惑をかけてしまうので、計画性が必要です。

だからゴミ拾いはできる人がやればいいのです。むしろ皆さんはゴミを公共の場所に捨てないということを徹底することがゴミ拾いよりはるかに生産的に街の美化につながります。

ゴミを公共の場所に捨てないというのは当たり前に聞こえるでしょうが、日本においては非常にハードルが高いことなんです。他の先進国と比べて日本は圧倒的にゴミ箱の数が少なく、捨てる場所がないため長時間にわたってゴミを持ち歩かなければならないという状況が往々にしてあります。

早くこの煩わしいゴミを手放したいと思うのが人情でしょう。だから些細なゴミなどは誰も見ていないから捨てられるという誘惑に駆られて捨てる人は結構います。だからポイ捨てを自制するのは結構大変なことです。

ましてや出先でこしらえゴミを家まで持ち帰るというのは一番難易度が高い捨て方です。"ゴミを持ち帰る"ということを当たり前のように市や自治体が呼びかけていますが、言うほど実践は簡単なものではないのです。

だからゴミを持ち帰るという自制心を持っている人は、ゴミ拾いをしている私よりも美化やモラルに対する意識が高い方でしょう。私は決められた時間内に、決められた場所にゴミを捨てに行くだけですから、持ち歩く時間はそう長くはありません。

ゴミを路上に捨てないというのはそれだけで尊いことです。ゴミを路上に捨ててはいけないというマナーを守れない人がいるということを考えると、自制心を持って決められた場所に自分が出したゴミを捨てることができる人はそれだけで賞賛に値します。

ゴミを公共の場所に捨てないということは社会全体から日本人でさえ当たり前にできることではないのです。なのでゴミを捨てないということはゴミ拾いをすることよりもはるかに効率的かつ生産的に街を切にすることができます。

ゴミ拾いができないことを気にする必要はありません。私の考えではゴミを路上に捨てないことの方がゴミを拾うことよりも何倍も価値があると思います。拾うゴミがなければそもそもゴミを拾う必要などないのですから

 

早朝駅前に祭りのゴミは落ちてましたが、一箇所に集められていました。素晴らしい!

さて七夕から一夜明けた本日早朝に平塚駅前を掃除してきましたよ!といっても1時間くらいのものでしょうか、仕事もあるためあまり長い時間掃除はできませんでした。ゴミの量は予想通り非常に多くて持参した袋に詰めきれず掃除半ばで泣く泣く引き上げました。

ただ一つ感心したことがありまして、ゴミが自販機のゴミ箱周辺に固まってるんですよ。私が昨日帰宅した時は、駅南口は割と広範囲に満遍なくゴミが散らかっていた印象だったんですが、ゴミが一箇所にまとめられていました。

ボランティアがまとめてくれたのかなと思ったんですが、かれらは必ずゴミを袋にいれます。わたしが見たゴミは袋に入れられてない状態で割と乱雑に置かれていたので祭りに参加した方々が自販機の周辺をゴミ捨て場と認定して置いたんだと思います。

やはりちょっとマナーが悪くても、日本人は基本的にゴミをゴミ箱に入れなければならないという良心が残っていたのに安心しました。

わたしも数カ所に集められたゴミを処理するだけだったので非常に助かりました。分別は全くできていませんが、ゴミをゴミ箱に捨てるという基本的なモラルが備わって入れば、ゴミ箱を増やした時に街の環境が一変すると思います。

私がインドにいた時は路上にゴミを捨てるという癖がインド人の本能の中に刷り込まれているのかと思うほど当たり前のようにゴミを路上に捨ててました。

日本はどうでしょうか?以下の写真を見る限り私は公共のゴミ箱を設置しても十分信頼できるマナーと民度を日本人は持っていると思います。

 

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路上のゴミが半端ではない七夕祭り

3日間の七夕祭りは、金曜日こそ天候は崩れたものの残り二日は天気予報に反して安定した天気で無事に開催できてなによりです。皆さんもお祭りを楽しまれたと思います。

今回の七夕の動員数は数十万人と聞き及んでいますが、まさに祭りの渦中は人でごった返していました。今回も御多分にもれずゴミについて私の見解を語っていこうと思います。

やはり七夕祭りのゴミの多さは半端ではありません。路上に落ちたゴミも非常に多いですし、歩道上の植え込みのヘリには所狭しと空き缶が並べられてました。ボランティアも大混雑にはまってしまい効率的に掃除ができているとは言いがたい状況でした。

またゴミ捨てのスポットは大通りの脇にところどころ設置されていますが、大人数の

大人数の通行スペースを安全に確保するために設置場所を増やせないようでした。最も人通りが多い大通りでは私が数えた限りでは4~5箇所しかゴミ捨てのスポットがありませんでした。 そのためゴミを捨てようと思うと、ただでさえ前に進まない道を引き返さなければならないのでゴミを捨てるためのハードルが非常に高く感じました。

七夕に出店している露天の8割は飲食関係です。当然ゴミが出ます。さらにイベントに参加しているほとんどの方は会場での飲み食いが目的です。色々な料理を食べたい、お酒も飲みたいとなると当然手では持ちきれないほどのゴミが残ります。そしてゴミを捨てるために遅々として進まない、ごった返す人ゴミをまた引き返さなければなりません。そう考えると人が路上に物を捨てる確率が高くなります。

ボランティアをいくら動員しても効率的に片付けることはできないでしょう。結局多大なコストを支払って祭り終了後に片付けることになります。

イベント中の路上のゴミを減らすには、イベントに参加している人にゴミ袋を配布すればよいのではと考えました。ゴミ袋は一人一枚で必要に応じてゴミ捨て場で袋の中身を捨てその袋を再利用すれば良いのではと考えました。

しかし先日朝日新聞で七夕の記事を読んだ時累計100万人の来場者数を見込んでいるという見出しがあり、大まかに費用を計算すると袋を用意するのに少なくとも400~500万円かかり、100万人分近い袋がゴミと化すことを考えると経済的とは思えませんでした。

やはりイベントの参加者一人一人がゴミを捨てること関心を向けてくれなければなかなか解決しない問題であります。なかなか実現は難しいと思いますが、楽しむのとセットでイベントに参加する皆さんで協力してゴミを片付けるという雰囲気があればとても効率的にゴミを処理できると思います。 

例えば一つ一つの屋台にゴミ袋を設置して、ゴミが満杯になったらイベント参加者でもボランティアでも気づいた人が率先してゴミの集積場所まで運ぶという協力関係があればいいと思います。まあ無理だとは思いますが。

今日は所用があって日中は七夕のゴミ拾いに行けなかったのですが、明日片付けようと思います。

 

 

これは今朝掃除したゴミ収集場所です。カラスに荒らされてます。

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平塚の七夕祭り人でごった返してます。

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ゴミ捨て場です。分別を徹底している割には、皆さん分別せずに好き勝手に捨ててました。

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ゴミの山です

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市民センター前の交差点です。若者が羽目を外してます。路上には落とした食べ物でカオス状態でした。

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駐車場は解放されて休憩スペース?になってます。ここにはゴミ捨て場が設置されていませんでした。

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七夕祭りに出かける際はゴミ袋を携帯しよう!

さて平塚では昨日から七夕祭りが開催されています。その影響があってか、拾ったゴミの量がいつもより多いです。七夕は主に平塚駅の北口で開催されていますが、ゴミの影響は南口の134号線へ走る大通り周辺に及んでいます。おそらく七夕を楽しんだ後ビーチパークに行くのでしょう。

七夕祭りに際してゴミ拾いのボランティアを各所に配置しているとはいえなかなか開催地から離れたところは目が行き届かないようです。

七夕に参加される方はなかなかタイミングよく捨てる場所にも困ると思うので、ゴミ袋を持参したほうがいいかもしれません。面倒臭いかもしれませんが。なるべくゴミ箱にゴミを捨てるようにしましょう。

さて、少ない時間でも毎日のようにゴミ拾いをしているわけですが、だんだん顔を知られるようになってきましたよ。私のブログを拝見されている方かどうかは存じ上げませんが、色々な人から声をかけられるようになりました。少しずつですが雰囲気が変わってきていると思います。いままで見向きもされなかった私のゴミ拾いがだんだん認知されるようになってきました。嬉しい限りです。

地域の方々とコミュニケーションが生まれることで私の活動が良い方向に転化してくれればよいなと思っております。

 

 

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人を動かすということについて

本日は雨天のためゴミ拾い中止です。非常に激しい雨が降っていたので強行を断念しました。突発的な天気の崩れに度々習慣を乱されますが仕方ありません。

さて今日は人を動かすということについて話したいと思います。私の短い人生の中で培った経験では皆さんを納得させられるほど深い見識を披露できるわけではありませんが、ゴミ拾いに絡めて私がゴミを捨てる人に対してどのように動いてもらいたいと考えているかを話します。

人を動かす最も単純明快な方法は強制力を持ってこちらの意図に従わせることです。従わなかった場合のリスクや従った場合の報酬をチラつかせて強制的に従う理由を人に植え付ける方法です。

人は他人の意図に従うことに対して何らかの理由や根拠を探します。やれと言われたことを素直にやるのはそれだけの理由があるからです。

人は依頼された内容と報酬またはリスクとの間に合理性を求めます。 人の損得勘定を揺さぶって強制力を発揮させようとすると作業の量と報酬の度合いやリスクの大きさを天秤にかけて自分にとってのメリットを判定しより自分にとってフェアな評価が下される場所へと移動します。

会社に勤めている場合、指示された仕事を拒否することによるリスクや、仕事を真面目に続けた場合の報酬や評価が自分の生活の質に関わってくるので多分に強制力が働いています。

しかしゴミ拾いの場合は違います。ゴミのポイ捨てをやめることによる強制力などないに等しいのです。これは完全にモラルを遵守するかしないかの個人の良心の問題で、何らかのベネフィットを与えて強制力を植え付けるものではないのです。

そのため注意や呼びかけなどは極めて一過性の施策にすぎず、ポイ捨ての抑制を持続させるものではありません。それだけポイ捨てをやめさせるというのは自主的思考の属性が高い案件です。

自主性にしても自分自身に"ポイ捨てをやらない"という理由を作らなければなりません。結局のところ率直で誠実な評価を"ポイ捨て"をしている人自身が自分に向けて与える環境が必要だということです。

自分自身の行いを気づかせることが"ポイ捨てをやらない"理由になる最初の一歩です。だから注意をして反発心を招いては、感情的にポイ捨てをやる理由を与えてしまいます。お前らから注意される筋合いなどないと。。。

ゴミのポイ捨てを例にとれば、ポイ捨てをする人"の意識とその地域に住む人の意識の乖離が"気づかせる"きっかけになります。

路上が綺麗に掃除されていることが当たりまえ、自主的に外を掃除するのが当たり前という雰囲気を作れば、捨てることに対して居心地の悪さを感じると思いませんか?

それが気づかせるということです。そしてその雰囲気を作るには感謝が必要です。人に何かを感謝されると、その何かを常に当たり前にやってきた自分が評価されたという心理状態になります。

この感謝が、感謝される内容と真逆のことをしてきた人間に向けられると、その人間は自分の行いとその感謝のギャップに苦しめられます。ポイ捨てがモラルに反していることを知りながらポイ捨てを続けてきたということに対して自分自身に正当な評価を下し自省しようとするでしょう?

極めて自主性が高い案件にたいして人をこちらの意図にしたがわせようとするなら、それをやらなければならない理由を気づかせる環境を作る方が、口頭の指示や注意よりもはるかに持続性があります。多少時間はかかりますが、同じ属性の人間が増えればたちまち暗黙のルールが形成されるでしょう。 

人間の価値観は大なり小なり環境にものすごく左右されるので、人に影響を与えられる環境がない場合は地道に作っていくしかありません。